面会の必要性

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昨年春、ショートステーでお世話になったシャロームでのショットです。僕がシャロームに迎えに行き、これから教会の礼拝に出かけるところです。シャロームの方が撮って下さったのですが、実は記憶がないのです。後ほどA四大の写真をラミネートして下さったものです。この写真は去年のクリスマスのご挨拶、今年の年賀状にそれぞれ利用させて頂いたものです。
僕の技術ではこれを縮小できないのでこのように馬鹿でかいものになりました。今はもっと痩せこけて往年の面影がありません。そのうちにご披露いたします。
妻にはここ二週間ほど会っておりません。立て続けに施設にインフルエンザに罹病した利用者がでて、全館面会が禁止されているのです。今日の情報では23日の金曜日には解禁されるということです。
いろいろ言われますが、僕は出来るだけ(毎日でも)面会するべきだと思っております。数少ない限られた人数(国の行政の貧困さです)での介護者では、一人一人に付き添ってはおれません。妻の場合もそうですが、日がな一日なすことなく、座っているだけです。会話もありません。認知症の人たちは相互の交わりは不可能なのです。勿論介護者の方々は誠心誠意関わって下さっています。声掛けもなさってくださいます。でも限界があります。
その限界は誰も責めることは出来ません。また責めるべきではありません。食事、風呂、排せつの介護は今や家庭では無理です。特に食事の栄養管理は妻が現在ミキサー食であるだけに家庭では無理です。ではどうするのか。それは施設と家庭との共同介護ではないでしょうか。家庭が出来ること。それは面会です。孤独によって衰えてゆく認知機能を少しでも支えてゆくこと。施設に協力して介護するのではないか。そうでなければ、いいとこどりの姨捨ではないでしょうか。家庭では到底出来ないことだけを施設に求めて自らやることをやらないで済ますことになるのではないでしょうか。家庭の事情もありましょう、しかしそのきであれば工夫は出来ましょう。毎日や、隔日でなくとも、一週間に一回でも、一時間でも時間が作れない筈がないと僕は思います。

追悼日の子

2018年2月14日(水)
無題
1984年11月24日に、私たちの長女『日の子』が自動車事故で天に召された。
28歳だった。この事故は妻が運転する車が、トンネルの中で対向車線の車と正面衝突によるものだった。これは妻にとり消え去りがたい心の傷である。今年で34年になろうとしているが、その傷は未だ癒えるものではない。ただ主イエス・キリストの恵みの中にあってのみ、人知れず癒されてゆくのだ。なぜ今頃このことを記事にするのかというと、一月の半ばに神戸にお住いのある方から電話があった。実に六十数年ぶりの電話だった。妻の同窓生で青春時代、僕もよく存じ上げている方だ。今回の施設への転居に伴う妻への問安であった。一時間に及ぶ長い電話だった。意外と僕はいら立つことなく、じっくりと語り合った。その中で『日の子』を自分の過失で亡くされた妻の痛みはどれほどのことかと語って下さった。その時、『日の子』の追悼集をお読みいただいたかと伺った。まだだということで、早速その追悼集をお送りした。上の写真がそれである。先日礼状と共に返却されてきた。この機に僕はこの本を読み直してみた。自分で言うのもどうかと思うが、実に良くかけている。
余談だが、当時この本が僕たちが知らない間に、アメリカと英国に送られていた。友人の誰かが送って下さったものだろう。アメリカの日本人教会から連絡が入り、証と説教を頼まれた。
すこし本論から外れたが、それほど多くの方々に感銘を与えたのだろう。
当時お世話になっていた教会の方々がどれほど『日の子』を支えて下さったか、昨日のように思い出される。また中学校、養護高等学校との日々の先生とのノートの交換の内容は、そのご指導に頭が下がるほどだ。
教会員の『M』さんが『日の子』が奉仕していた古切手の収集のために、毎日のように短いメモを添えて送ってこられたのはこの紙面では説明しきれない感謝であり感激である。独りよがりの説明では到底ご理解頂けないかもしれない。
バロック音楽を愛した日の子はなかでも『パッヘルベルのカノン、パッヘルベルのジーク、アルビノーニのアダージョ』がこよなくすきだった。手元には多くのクラッシックのLP盤がある。最近はCD盤を聴かず、専らレコードをかけている。今になって亡き『日の子』を思いだし心を痛めている。
さて長々と書いてきたが、妻のことである。施設にインフルエンザが蔓延し、面会がここ十日ほど禁じられている。幸い妻は罹っていないようだ。なにか変化があれば必ず連絡が娘に入るので、連絡がないのは平穏なのだろう。
いろいろ意見があるようだが、家族のこまめな面会が何よりのケアーだと信じている。一対一で介護しない限り、どれほど真摯に誠実に愛をもって介護士の方々が妻に接して下さったとしても限界が自ずとあるのだ。それを埋めてゆくのが家族の面会ではないか。僕は妻の夫なのだ。64年間苦楽を共にした掛け替えのない妻なのだ。

落とした手袋

2018年2月10日(土)
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シルエットの富士
冬の富士のシルエットを四年ほど前に撮った写真だ。ドライブがてら西湘バイパスのPAあたりから撮ったのかも。心が豊かだったのだ。おそらく隣の座席には妻がご機嫌で座っていたろう。閑話休題。他人にとれば、たわいのないことだろうが僕にとれば一大事件なのだ。
内容を詳述しよう。
八日の日にホームに妻に面会に行き、帰りの出来ごとだ。いつもホームを五時十五分に出る病院行の送迎バスに乗って帰ることにしている。病院からは最寄りのバス停で横須賀中央にでてくる。そこから折り返して観音崎方面のバスを利用する。方向が全く逆なのだ。
横断歩道を渡り観音崎方面のバス停に向かった。歩きながら今夜のお米を仕掛けてこなかったことを思い出した。バス停の前にお弁当屋さんがある。今夜は面倒だからお弁当を買うことにしてお店に入って注文した。出来上がるまで少し待たされ弁当をもって店を出た。数歩、歩いて手袋が片方ないことに気づいた。防寒着から背広からズボンのポケットからくまなく探し回った。ない。僕は慌てた。ただの手袋ではないのだ。妻が僕のために手作りで作ってくれた、かけがえのない手袋だ。再びお弁当屋さんに戻って落ちてないか探した。中にいたお客さんも探してくれたが落ちてない。『きっと表てで落としたんだよ…』という声に店を後にした。雑踏する街中で落としたとすれば、絶望的だ。涙が込み上げてきた。妻の手袋なんだ。買ったものじゃないんだ。他人には何の価値もない手袋。道で落としたとすれば容赦なく踏みつけられているだろう妻が作ってくれた手袋。形容が出来ないほど大事な大事な手袋。絶望的な思いで、もと来た道を雑踏する人をかき分けるように路面を目を皿のようにして探した。買ったものなら絶対このようなことはやらないだろう。妻が僕に作ってくれたのであればこそ、必死な祈るような思いで探した。信号が変わり横断歩道を渡って反対側の道路に出た。つまり病院から来た方向だ。渡り切って少し右に折れると銀行がある、その前まで来たとき、路上に黒いものが落ちている。まさかと思い近寄り、しゃがんで見た。なんと手袋だ。まぎれもない妻が作ってくれた手袋だ。あったのだ。肩が触れ合う雑踏の中でだ。正直、涙が出た。嬉しかった。『ママあったよ・・・』と心の中で叫びながら、しっかり握りしめてバス停へと戻っていった。バカみたいな話かも知れないが僕には何にも代えがたい手袋なのだ。まさに奇跡だった。嬉しかった。本当に嬉しかった。

再び帰りたいという訴え

2018年2月6日(火)
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野鳥の会より

最近はあまり写真を撮らない。だから今まで掲載したものをくりかえし使っている。別に気温が例年になく寒いからというわけではない。どこか写真を撮る心に余裕がないのだ。
だがとくに何をするのもおっくうだというものでもない。書斎の整理、書籍の分類整理、家の掃除、炊事、洗濯といった家事全般、それに買い物など、あまり抵抗なくやる気がある。しかし何か落ち着かない、やはり心に余裕がないのだ。だからこれらのことが粛々と進むわけではない。蟻ではないが少しずつこなしている。でもやはり心に余裕がない。それは正しく妻が家庭にいないことだと思う。
この前に面会に行くたびに『帰りたい・・・・』という妻の訴えを書いた。そしてその時には必ず僕への激しい抵抗(暴力と言えるか?)がある。ある時、娘にそのことを話した。娘はそれは誰だって言うのだと言ってくれた。介護士の方も何方もそいった傾向にあるという。そうだろう。だが妻の場合は少し違うのではないかと思う。『帰りたい・・・』というときには、必ず僕の手を激しく握りしめ、皮膚に爪を立てるのだ。これは力の加減がないからすごく痛い。ある時は皮膚から爪のため血が出ることがある。上靴のまま僕のむこうずね激しくける、唾を吐きかける、こうしたことは、介護士の方にもあるようだが、傷を負うほど激しくはないという。
介護士の方は、そうした暴力(?)は愛情の裏返しだと分析される。だがこうした行為を伴っての『帰りたい・・・』という僕へのコールは誰でもが言うのだと、いうのとは、少し違うと僕はおもう。つまりは自分の生活のすべてが認知症のために、こうした施設でないと全うできないという理解がないから、単純に家庭から切り離され施設に入れられたという、僕への恨みだとおもう。だから誰もが言うという『帰りたい…』とは少し本質が違うのだ。つまりは簡単に、誰でもいう、ということでは片づけられないのでないだろうか。
間違っているだろうか。

侘び寂び

2018年1月31日(水)
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江の島水族館付近からの富士

相模湾を隔てての富士の遠望はお気に入りの写真なのだ。一昨年の六月から車を手放した今では、このような富士の遠望を撮りにゆくことは出来なくなった。そればかりか迅速な機動性が全くなくなった。今は移動はもっぱらバスである。最近は六か月乗り放題のパスを周囲の方の勧めで購入した。なるほどこれは便利でありがたいものだ。妻のホームに面会に行くのはバスで片道一時間ちょっとかかる。運賃は片道千円に近い。そうなればこのパスは実質的にやすいといえるだろう。大体バスの乗客は八割がた高齢者の方が多い。僕もその一人なのだ。乗りなれると案外便利なものだ。それにいつ来るかわからないバスを待つ忍耐が、自然と備わった。これは車社会では学べない得策かもしれない。閑話休題。
妻のところへは隔日に行っていたが、ホーム側からの意向で出来るだけ日をあけるようにしている。原則週二回としているが、情けにほだされて容易に実行が出来ない。確かに今の妻の状態では家庭では到介護は出来ないことは明白だ。だから万やむを得ずホームにお世話になっているのだ。別に僕の意向で隔離(?)しているわけではない。しかし妻はそうは理解していないだろう。そこが不憫なのだ。夫としての妻への情愛が僕の感情を制御できないのだ。勿論青春時代の情愛というものとは少し異質だ。好いた好かれたといった浮かれたものではない。侘び寂びといった渋さがあるのだ。ホームで聞けば、入所させたたまま家族が一度も来ないケースもあるという。どんな親子だろう、どんな夫婦だろう。到底理解できない。とまれ現実を直視し聖心に従おう。

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