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疲労

2018年10月2日(火)
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野鳥の会より

季節外れの写真だが好きな写真なのだ。それはともかくとして、先週の金曜日に原因がわからないが朝起きた途端に背中の筋肉がひどく痛み、ベッドから起き上がれなくなった。転がるようにして床に立ったが、真すぐ立つ分には痛みがない。しかし床のものを取ろうとして背中を曲げると激痛が走る。午後、かかりつけの整形外科を訪ねた。二時間も待たされ、診察結果は、疲労から来る筋肉痛だという。確かに先週の初めからひどく疲れていた。それでも妻との面会は欠かさなかった。水曜日は教会での定例の祈祷会だったが、さすがにその日はお休みをした。疲労というものは疲れとまた違い忍び寄ってくるもののようだ。閑話休題
最近、妻は体力的に弱ってきたようだ。食事はミキサー食だが完食する。しかし十分栄養が吸収できないようだ。先日介護士から説明を受けたが、車椅子の仕様を変えて対応しているが、体がどうしても左に曲がってしまうのだ。それはまっすぐに体を支えるだけの筋力が弱ってきている結果だという。腸管の機能も体の筋力も次第に衰えてゆくという。ベッドで眠る時間も多くなりいわゆる老衰という現象だそうだ。『主、与え、主、取りたもう。主の聖名はほむべきかな』。一日一日を大事に妻と時間を共有してゆこう。

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額の怪我

2018年9月25日(火)
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野鳥の会より

九月に入ってから筆が全く進まなくなった。ホームに妻を訪ねる日以外は結構なんだかんだで一日が潰れている。残された命が物理的に見てもそんなに豊かにあるわけではないから、あれもこれもと思うだけであまり充実した内容をこなしていない。読書もそうだし、説教の黙想も釈義もいい加減に過ごしている。あとわずかという時間なのに怠惰なものだ。
そうしたことがブログを書くことにも現れているのだろうか。困ったものだ。このブログも途中で筆を休め、今日25日に再び筆を起こした。今、妻がお世話になっている施設について、もちろん不満があるわけでないが、なにか今ひとつ、すっきりしないものを感じるのだ。それは介護士の皆さんを非難するものではない。非難どころか感謝でいっぱいなのだ。週に三回ほぼ七時間、妻と時間を共にしているから介護士の方々の働きを目の当たりにしている。それを見ると不満を口にするのを憚るのだが、どうしても気になることがあるのだ。今年の1月3日に車椅子ごと倒れ、右の額の部分に五針を縫う裂傷を受けた。そのときは気にしなかったが、後になり左手がまるでリュウマチ患者のように拳を握った状態になった。それは現在でも。続いている。と同時に言葉が不自由になった。
額の怪我と因果関係があるかは判らないが、僕としては気になるのだ。仮にそうだとしたらどうなのだ。障害が脳にあったとしても治療することは出来ないだろう。いや出来ない。それなら気にしてもしょうがないではないかと人は言うだろう。でも因果関係の有無を知りたい。これが僕の心情なのだ。


訪問聖餐式

2018年9月6日(木)
IMG_1503.jpg

三月に一回の割合で妻のホームの居室で訪問聖餐式を受けることになっている。
今日はその日で、牧師夫妻と信徒三名、私と妻とで七名の式であった。妻が式全般にわたって、おとなしく対応してくれるかが一番の懸念であった。しかしその懸念は杞憂であった。最近の顔認識の不安を打ち消すように、式に心を開いてくれた。
眼(まなこ)をしっかりと開き、正面の牧師を見つめ、賛美の時は、私が持っている讃美歌を手元に引き寄せ、歌うがごとく口を動かしていた。集中できるときはいつも眼をしっかりと見据えるのだが、今日は終始そうだった。聖餐式に備えて昼食の前から車椅子に座っていた。
式が終わり持参のケーキで懇談の時、介護士が部屋に来て長時間になるので寝かせたいと申し出があった。もちろんベットに寝かせて頂いた。最後に私のリクエストで賛美をしたとき、ベットに横たわりながらも、私の持っている讃美歌を引き寄せ、賛美に参加した。歌うことはできないが口を賛美に合わせて動かしていた。今日は全く至福のひとときであった。顔認識の不安はどこかに飛んでしまった。

さらば猿島

2018年8月26日(日)
猿島風景


この地に移り住んでほぼ半世紀になる。家は海岸に近い。東京湾である。そこに『猿島』と呼ばれている無人島がある。四年ほど前に友人たちと初めて島に渡った。戦時中は軍の要塞があったようで、今でも名残の弾薬庫などが残っている。写真は『猿島』を離れる船の航跡である。閑話休題。
昨日の土曜日、例によってホームに妻を訪ねた。車椅子が変わっていた。新しく多機能のものだった。妻の体型もさることながら、まっすぐに座れなくて、どうしても体が斜めになる。それを防ぐために空気が入ったクッションが敷かれ、しかも座席が斜めに上に向ける構造になっている。つまり背もたれと座席は常に九十度だが、その角度を保って座席が上を向くことができる構造なのだ。介護士さんたちの配慮で、いろいろ工夫していただいている。ありがたいことだ。だが一つ問題が生じた。それは妻の様子に変化が生じたことだ。この日は一日僕を夫と認識できなかった。普段だと、『パパ』と呼びかけてくれるが、終日その呼びかけは聞けなかった。誰であるか識別できないようだった。一時的であれば嬉しいが本格的に顔認識ができなくなったとしたら、限りなく辛い。人生の終焉に向かって全く悲劇的だ。



リビングでのイエティ

2018年8月22日(火)
イエティ1882
とある晩のリビングの一角です。写っているのは三十年来お付き合いしている『イエティ』と名付けられた僕の親友です。身長は、ほぼ一メートルはあります。
1987年頃、銀座で買い求めた愛玩のぬいぐるみです。無造作に撮った写真ですから、折角の『イエティ』のハンサムな顔が(多分男性でしょう)半分隠れております。なんでもフランス製で、ぬいぐるみのグランプリを取ったらしいです(体についているタグで判明)。
いまや完全に我が家の一員です。さて話はここまで。つまり閑話休題。
妻がホームに転居以来、家が片づかない。妻の手がないからとは言えない。2017年9月28日に施設に転居するずっと以前から、妻は体力的な戦力には全くならなかった。でも結構、家は片付いていた。書斎を除けば寝室も、リビングも、それそうおうに(来客を迎えても恥ずかしくない程度)片付いていた。でもいまはチョット違う。だらだらしてるわけでもないのに万事が片付かない。
話が変わるが、この間、施設で服のまま夜、寝させているのを知った。できれば、パジャマに着替えさせてやってほしいと、ユニットリーダーにお願いした。実は長袖の上着を脱がせ、パジャヤマの袖を通そうとすると、激しく抵抗するという。つまり腕を袖から抜くときに嫌がって、介護士の方につねったり髪の毛をひっぱたたり抵抗するのだそうだ。それで最近は服のまま寝かせているという説明を受けた。たまたま、娘がそばでその会話を聞いていた。
曰く『パジャマに着替えさせたいというのはお爺ちゃんの願望でおばあちゃんが望んでいることではない』と厳しく言われた。確かにそのとおりで、本人ではなく僕の願望と言われても反駁の余地はない。それに介護士の方々に余計に手を煩わせることにもなる。だから目をつむることにした。
でもたとえ本人がわからなくと、そうしてやりたいと思うことが多々あるのだ。どうせ判らないからという割り切りができない。
施設からの報告書に、機能訓練実施計画書が来ている。その中に計画内容があり『日常動作訓練 立ち上がり訓練 月一回』とある。一人で歩くことまでは今は望まない、ただトイレなどでつかまり立ちしてくれればと願っている。そうすれば、前のように、おむつでなくともすむのではと思うのだ。これも僕だけの願望だろうかそうは思わないのだが。
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