雪柳

2017年11月18日(土)
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雪柳が満開のころフルーツパ゚ークホテルにて

甲府盆地を一望に見下ろせるホテルの庭からその景観のすばらしさに自らの目を堪能させている妻。四年ほど前かも。
さて、娘の都合で四日ぶりに昨日、ホームに面会に行った。妻は心なしか顔もふっくらとし、時折笑みも浮かべた。しかし声は相変わらずでない。いつもは『これ誰??』と聞くと音声にならない声で『パパ』と答えてくれたが、昨日は答えてくれなかった。
部屋に入るとき係りの介護士の方が『来週からご主人がお一人で面会されてもよいです』。
娘は『おじいちゃん一人で来て良いっつて・・・・』と喜んでくれた。間もなくユニットの責任者と事務の責任者の方がお見えになり、『長いことお待たせいたしました。これからはおひとりですからくれぐれもお気をつけて・・・・』とねぎらってくださった。やっと待望の単独での面会ができる。これからは娘の都合を待つ必要がなくなったのだ。
しかしこのホームは極めて交通の不便なところだ。先日、娘とバスを試みてみた。最寄りの停留所からゆうに四十分はかかった。そこから僕の足で歩いて15分~20分はかかった。しかもバスは一時間に一本なのだ。
帰るとき、事務の責任者のかたから病院からの送迎バスが出るので、時間に合わせて利用してくださいと助言をうけた。ただし前日に予定を事務所に伝えることになる。一つには面会の確認が欲しいということだ。体調の確認が必要なのだ。苦労してやって来ても、会えなければ無駄足になる。それではお気の毒だからという好意からだ。いずれにしても来週から自由に会ってやれることになった。

観葉植物

2017年11月13日(月)
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シンビジュウム

季節外れだが庭のウッドデッキの上で健気に咲いていた写真を載せてみた。二年前の四月の写真だ。妻はこよなく花を愛していたし、観葉植物にも愛情を注いでいた。
今は見る影もなくなったが、立派な鉢植えのモンステラが、リビングルームを飾っていた。
まだ新婚間もない1956年ごろ、堺の黒土町の公団住宅に住んでいたころ、(余談だがこの公団住宅は戦後初めて建ったものだった。ステンレスの流し、木製の内風呂、水洗便所、ガスは都市ガス、窓には網戸といった、今では何でもない施設だが当時は珍しかった。入居する前に近所のお百姓さんたちが、「よくできてるな…」と感嘆しながら見学に来ていたものだ。)小さな鉢植えのモンステラをおばさんが売りに来て、妻はそれを買ったのだ。爾来、今日まで大きく育ち、我が家の目を休ませてくれていた。でも認知症が進むにつれ、妻は管理に意欲を示さなくなった。僕自身もあまり管理に熱心ではなかた。妻が衣笠ホームに転居(あえて入所とは言わない)してからは、ますますモンステラは精彩を欠いてきた。うまく選定をして、よみがえらせてみようと思う。
独居老人となった今、夕食はワタミの宅食を利用しているが、12月からはやめようと考えている。一つには娘が『最近じいちゃんは認知症の兆しがある、夕食は我々の分も含めて料理した方がよいよ・・・・』というのだ。もともと料理は嫌いな方ではない。献立を考え料理をすることは頭の訓練になるらしい。材料の買い出しは娘が引き受けてくれるようだ。今までのようにケーキも作ろう。勿論、神学の学び、説教の研鑽は怠るつもりはない。
衣笠ホームに転居した妻には単独ではまだ面会が許されない。娘の同伴が条件なのだ。
仕事を持っている娘は、夕刻にしか時間が取れない。取れても毎日とはゆかない。完全な看護といっても一人につききることはできない。僕が面会できれば、看護の手助けができるのだが、付ききって話もできるのだが。残念だし、孤独がますます状態を悪化するのではないかと危惧するのだ。

アドヴェントへの備え

2017年11月7日(火)
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しばらくブログをさぼっている間に、いつの間にか11月に入ってしまった。9月28日に特別養護老人ホーム(特養)に転居(入所というのだろうが事実上は転居だ)した妻に、僕はいまだ単独では面会できない。娘の同伴が必要なのだ。娘は仕事を持っている。だから、娘のフリーになる時間でないと僕は妻に面会できないことになる。その時間は大抵五時以降である。しかし毎日ではない。娘の都合がつかない場合もある。いつ単独で面会が許されるのか今のところは判らない。しかし僕はもう妻が特養に転居したことに(あるいは転居させたことに)悔やみを言わないことにした。内心はともかく、口には出すべきでないと思っている。なぜなら、僕の周りには伴侶を亡くした方々が十指を下らない。どんなにか辛いか、寂しいか筆舌には尽くせないだろう。それでも主の恵みの下、健気に雄々しく人生を歩んでおられる。僕の寂しさ、辛さの比ではないだろう。
この間ご夫妻で親しくしている旧友からメールが来た。妻のことを常に甚く心にかけて下さっているご夫妻なのだ。その奥様が確率的には完治が難しい厳しい病と闘っておられることを知らせてきた。旧友の胸中や如何にだ。
さて話題を変えよう。つまり閑話休題。11月に入った今、アドヴェントの近いことを覚える。今年は12月3日(日)がアドヴェントなのだ、アドヴェントクランツも、タペストリーも妻の居室に飾ろうと考えている。ハイマットベルク(ドイツの有名な木彫)のイエス様の降誕の木彫りも妻の居室に飾るつもりだ。簡素な居室でクリスマスの喜びを形でも顕せてやりたいのだ。

今は昔

2017年10月17日(火)
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一年に二回は山梨にあるお気に入りのホテルに行く。この写真は二年前のもので、甲府盆地を見下ろすホテルのテラスで憩いのひと時を楽しんでいるときのものだ。毎年毎年、飽きることなくこのホテルを利用しているが、たいていは一泊二日の行程なのだ。時には予約なく、昼間に昼食を楽しみに行く日帰りの時もあった。往復300キロ余りのドライブだが、妻は何時も楽しんで助手席にくつろぐように座っている。今は車がないが1957年からほぼ60年間、ドライブを楽しんだことになる。妻も1964に免許を取得していた。しかし長距離ドライブは常に僕がハンドルを握る。まだ東名が出来ていないころ、旧東海道を走ったことが懐かしい思い出である。神戸まで行くのに東海道線の駅に立ち寄り、駅弁を買って走ったこともある。
東関道、中央道、関央道、東北道、常磐道など今なおドライブの楽しさが脳裏に残る。妻がちょこんと助手席に乗っていたのだ。車をやめその車を長男に譲ったあと、駐車場には僕たちの車がない。玄関を出るとき、決まって妻は『私の車は?』と聞く。そのたびに今はもう僕は運転できないのだというと、決まって『私が運転するの』と言うのだ。
妻が特養に入所してからは僕はちょっとしたことでも妻を想い涙ぐんでしまう。特に9月1日の朝のことが脳裏から消えない。どうにもならないことが判っていても、悔悟の念が消えない。僕を起こすまいと思ってくれたのだろう、一人で廊下をトイレに向かったのだ。日頃からトイレの場所が判らず、昼でも僕に『トイレはどこ?』と聞くのだった。廊下を右に曲がれば左手がトイレだが、左に曲がってしまったのだ。手に触れたノブを下げたに違いない。リビングの扉なのだ。手前ではなく奥に開く。ノブをつかんだまま扉に寄りかかるように倒れたに違いない。
どんな思いだっただろう。パパ、パパと呼んだかも知れない。怖かったろうに。でも、もし右に曲がっておれば左手のトイレを通り越してそのまま玄関の方に進んだかもしれない。そうすれば段差のある玄関の土間に、うつ伏せに倒れたに違いない。そうだとすれば顔面はおろか、頭を強打し一命を落としたかも知れない。そう考えるとリビングで良かったのだ。でもどうであれ可哀そうだった、不憫でならない。まだ施設では僕が面会することは許されていない。もっぱら娘が仕事の合間を縫って会ってくれている。話かけても反応が少ないという。面会の許可が下りれば、飛んで行って抱きしめてやりたい。

人の痛み

2017年10月6日(金)
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野鳥の会より
妻が9月28日に特養に移ってから一週間が経った。僕は面会を許されていないから、ほぼ毎日娘が面会に行ってくれている。居室にはベッドと小さな洋箪笥程度しかないので、入所した日には取り敢えずテレビを購入した。一昨日、娘とソファーを家具屋に見に行った。あまり大きなのは不必要なので、手ごろなものを見つけた。明日7日に配送されるという。こうしたことは、入所とはつまり居宅としてそこに定住することなのだ。もう再びこの家に戻って、普通の家庭生活を送ることが出来ないのだと気づかされた。当然のことだけれども、現実に気づかされると、限りなく切なくなる。9月1日の早朝、なぜトイレに行くのに僕を起こさなかったのか。いつもは『パパ、トイレ』と、起こしてくれるのだ。大抵は起こされなくても気配を感じトイレに連れて行くのだ。いつもトイレの場所が判らなくなるからだ。気づいてさえおれば、朝の四時までリビングルームの扉を押し開いて朽木が倒れているように、しかもおびただしい出血と失禁にまみれていなくてすんだのにと思うと、自責の念と不憫さが交互に入り交るのだ。娘たちは早くから僕の介護は限界だから施設を考えるべきだと言ってくれていた。しかしどうしても施設に入れるのは不憫で決断ができなかった。しかしこの事故(?)で入院し、それが契機で特養に、それもまさかと思われるほど早く入所できたのだ。神様はどのような手段でもって僕の決心を促そうとお考えだったのだろうか。不憫と思われるこのような事態を起こすことによって決心を促されたのだろうか。施設では行き届いた介護で妻の身の危険もなくこの一週間が過ぎた。今はとても辛い日々だ。しかし妻は生きているのだ。僕の周りには伴侶を亡くされた方がたくさんおられる。教会で会ってもみじんも辛さを顕していない。僕の辛さの比ではないだろに。そう考えると僕は今は人の痛みがいくらかでもわかるようになったと思う。やはりご恩寵なのだ。
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