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訪問聖餐式

2018年9月6日(木)
IMG_1503.jpg

三月に一回の割合で妻のホームの居室で訪問聖餐式を受けることになっている。
今日はその日で、牧師夫妻と信徒三名、私と妻とで七名の式であった。妻が式全般にわたって、おとなしく対応してくれるかが一番の懸念であった。しかしその懸念は杞憂であった。最近の顔認識の不安を打ち消すように、式に心を開いてくれた。
眼(まなこ)をしっかりと開き、正面の牧師を見つめ、賛美の時は、私が持っている讃美歌を手元に引き寄せ、歌うがごとく口を動かしていた。集中できるときはいつも眼をしっかりと見据えるのだが、今日は終始そうだった。聖餐式に備えて昼食の前から車椅子に座っていた。
式が終わり持参のケーキで懇談の時、介護士が部屋に来て長時間になるので寝かせたいと申し出があった。もちろんベットに寝かせて頂いた。最後に私のリクエストで賛美をしたとき、ベットに横たわりながらも、私の持っている讃美歌を引き寄せ、賛美に参加した。歌うことはできないが口を賛美に合わせて動かしていた。今日は全く至福のひとときであった。顔認識の不安はどこかに飛んでしまった。

さらば猿島

2018年8月26日(日)
猿島風景


この地に移り住んでほぼ半世紀になる。家は海岸に近い。東京湾である。そこに『猿島』と呼ばれている無人島がある。四年ほど前に友人たちと初めて島に渡った。戦時中は軍の要塞があったようで、今でも名残の弾薬庫などが残っている。写真は『猿島』を離れる船の航跡である。閑話休題。
昨日の土曜日、例によってホームに妻を訪ねた。車椅子が変わっていた。新しく多機能のものだった。妻の体型もさることながら、まっすぐに座れなくて、どうしても体が斜めになる。それを防ぐために空気が入ったクッションが敷かれ、しかも座席が斜めに上に向ける構造になっている。つまり背もたれと座席は常に九十度だが、その角度を保って座席が上を向くことができる構造なのだ。介護士さんたちの配慮で、いろいろ工夫していただいている。ありがたいことだ。だが一つ問題が生じた。それは妻の様子に変化が生じたことだ。この日は一日僕を夫と認識できなかった。普段だと、『パパ』と呼びかけてくれるが、終日その呼びかけは聞けなかった。誰であるか識別できないようだった。一時的であれば嬉しいが本格的に顔認識ができなくなったとしたら、限りなく辛い。人生の終焉に向かって全く悲劇的だ。



リビングでのイエティ

2018年8月22日(火)
イエティ1882
とある晩のリビングの一角です。写っているのは三十年来お付き合いしている『イエティ』と名付けられた僕の親友です。身長は、ほぼ一メートルはあります。
1987年頃、銀座で買い求めた愛玩のぬいぐるみです。無造作に撮った写真ですから、折角の『イエティ』のハンサムな顔が(多分男性でしょう)半分隠れております。なんでもフランス製で、ぬいぐるみのグランプリを取ったらしいです(体についているタグで判明)。
いまや完全に我が家の一員です。さて話はここまで。つまり閑話休題。
妻がホームに転居以来、家が片づかない。妻の手がないからとは言えない。2017年9月28日に施設に転居するずっと以前から、妻は体力的な戦力には全くならなかった。でも結構、家は片付いていた。書斎を除けば寝室も、リビングも、それそうおうに(来客を迎えても恥ずかしくない程度)片付いていた。でもいまはチョット違う。だらだらしてるわけでもないのに万事が片付かない。
話が変わるが、この間、施設で服のまま夜、寝させているのを知った。できれば、パジャマに着替えさせてやってほしいと、ユニットリーダーにお願いした。実は長袖の上着を脱がせ、パジャヤマの袖を通そうとすると、激しく抵抗するという。つまり腕を袖から抜くときに嫌がって、介護士の方につねったり髪の毛をひっぱたたり抵抗するのだそうだ。それで最近は服のまま寝かせているという説明を受けた。たまたま、娘がそばでその会話を聞いていた。
曰く『パジャマに着替えさせたいというのはお爺ちゃんの願望でおばあちゃんが望んでいることではない』と厳しく言われた。確かにそのとおりで、本人ではなく僕の願望と言われても反駁の余地はない。それに介護士の方々に余計に手を煩わせることにもなる。だから目をつむることにした。
でもたとえ本人がわからなくと、そうしてやりたいと思うことが多々あるのだ。どうせ判らないからという割り切りができない。
施設からの報告書に、機能訓練実施計画書が来ている。その中に計画内容があり『日常動作訓練 立ち上がり訓練 月一回』とある。一人で歩くことまでは今は望まない、ただトイレなどでつかまり立ちしてくれればと願っている。そうすれば、前のように、おむつでなくともすむのではと思うのだ。これも僕だけの願望だろうかそうは思わないのだが。

生い茂る雑草

2018年8月15日(水)
酷暑の関係もあるが、このところ庭いじりが全くされていない。一つには家族(特に娘)の強い諫言にある。隣近所のことを気にするより体が第一だという。もっともだと思う。だがそのこともあるが、実のところ庭の管理に気を配る心の余裕がないのだ。妻がホームに転居するまではそのような経験はなく、窓越しに見ている妻の姿を体で感じながら精を出したものだ。それでも最近は気力をっ振り絞って(?)リビングの整理をやり、終われば書斎の本の整理に手を手を付ける覚悟(?)でいる。
ホームでの妻は面会のたびに衰えを感じる。朝、会って僕を認識するのは少なくとも半時間はかかる。『パパ』と口に出せるのがやっとのことのように思える。足が今まで以上に弱ったようで、車椅子で自由に動き回っていたのが、今では出来なくなった。筋力が弱ってきたのだと思う。ただ食事はミキサー食だが、ほぼ完食する。
だがしかし、器からスプーンで口に持ってゆく間に、エプロンの上に半分近く落ちてしまう。つまりスプーンですくう量を上手く調節できないのだ。
だいぶ以前にケアマネージャから看取りについての確認書がきていた。考える気持ちになれずそのままにしていた。しかし最近隣の部屋のかたが朝、突然亡くなった。
クリスチャンだった。お別れ会と称して同じユニットの利用者全員と職員の方々が、交互にご遺体と対面した。牧師が来ておられたが、なんとも侘びしいものだった。納棺はその部屋で行われ、棺に十字架のついた黒幕をかぶせ、葬儀屋が玄関へと手押し車に乗せて運んでいった。このこともあり、看取りについて真剣に考えるべきだと思った。来週娘と共にケアーマネージャーと協議することにした。

有り難うございます

2018年8月3日(金)
無題
2017年3月頃シャロームにて

衣笠ホームに転居するまでは、走水にある特養のシャロームで、デーサーヴィスやショウト・ステーにお世話になっていた。それは倒れる昨年の8月まで続いた。シャロームはセブンスデーズ・アドヴェンチストの宗派が活動する特養である。我が家からは近く、東京湾を一望できる高台にあり、遠く富士を眺望し、馬堀海岸の緩やかな海岸線の曲線が特に美しく見下ろせる。その頃は、まだ足もしっかりしていた。僕の腕にしっかりと手をとおして、ゆっくりではあるが、近場はどこへでも歩いてくれた。まだ車に乗っていたころだから、機動力もあった。
ブログも気が付けば八月になっていた。気力の衰えと思いたくないが筆が進まないのだ。
特に最近は身辺の整理に多くの時間をとられている。いわゆる断捨離という奴だ。週の内三回は妻を訪ねて衣笠ホームに行くので断捨離も容易に進まない。
日曜日は教会の礼拝、水曜日は祈祷会、その間を縫ってのホーム通いだから進まぬのも道理かもしれない。
前から気になることがある。ホームを訪ねると職員の方々の挨拶は決まって『有り難うございます』なのだ。帰るときも『有り難うございました』なのだ。これは最近のことではなく転居以来変わらぬご挨拶なのだ。廊下を車椅子を押しながら散歩させていると、すれ違う職員(ケアマネ、看護師、介護士)の皆さんが何らかの挨拶の後、必ず『有り難うございます』なのだ。
世話になっているのはこちらだから、本来こちらが礼を言う立場なのだが逆なのだ。仮に入院している病院ではどうだろう.か、経験ではまずそのようなことは聞かない。なぜ『有り難うございます』なのか。
最近考えたのだが、面会することは職員の皆さんにとっては手助けになっているのだと思う。つまり介護士としては利用者と肌で触れ合う時間が、限られた人数では限界がある。それを補ってくれるのが家族が利用者との面会の時間なのだろう。転居の当初のオリエンテーションでは、面会は毎日では困る、せめて一日おきにしてほしいと言われた。それは介護士たちとの人間関係を阻害しかねないからの配慮だったらしい。でも今は違う、週三回の比較的頻繁な面会でも、『必ず有り難うございます』なのだ。一日にほぼ七時間を妻と時間を共有するだけでも、特養としての介護の活動に寄与しているのだと思う。受付の事務方の挨拶も『有り難うございます』なのだ。つまりこれは介護にあたる職員だけでなく、施設全体の活動機能としてもありがたいことなのか知れない。
懸念していた日光顔面硬化症は特別な治療の効果は皮膚科の医者のコメントでは順調に効果が表れているという。皮膚がんには進行しないだろうという。だがしばし薄氷を踏む思いだ。
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