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一時帰宅

2019年5月14日(火)
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令和に元号が変わり、世の中の風潮はお祭り気分で喜びを謳歌している。なぜだろうか。マスコミはそれに加えてしきりに皇室の祭事を報道する、確かに興味深く知る権利があろう。だがこのような偶像崇拝が、やがては神話の世界を国の尊厳に置き換えて同調的圧力が自然と育まれてゆく怖れがあると思うのは杞憂か。今の政権を担う政治家の思惑はどこにあるのだろうか。道を誤ってほしくない。賢明な政治家が世に現れんことを。閑話休題。
妻は日ごとに衰えが目立つ。先に僕の二ヶ月間の訪問できなかった空白が、その衰えを加速させたようだ。12日は母の日だったが、娘がカーネーションを用意していたがその日には手渡せず、昨日一日遅れで僕と一緒に妻を訪ねてくれた。娘を認識出来たかあらわにはわからない。しばらく車椅子を押して館内を散歩した。夕食時には主として娘が介護し、スプーンで食べさせた。一人ではもう食べることが出来ないのだ。食欲はあり完食した。29日に一時帰宅を予定しているが、ホーム側の返答を待っているところだ。
『帰りたい』と盛んに言っていた頃に実現してやれれば良かったと今頃悔やんでいるのだ。

思い出の聖書

2019年5月2日(木)
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2007年1月18日に、僕は革表紙三方金の大型の聖書を妻に贈った。扉にこのような記載がある。
『金婚の時を経て、いよいよ健康を祈り贈ります。2007年1月18日 新平』そしてこの聖書を用いて毎朝一緒に輪読することにしたのだ。
結婚は1955年3月22日だから、このときはすでに、金婚が過ぎ結婚後52年を経たことになる。すでにネフローゼを患っていた妻の健康を願っての思いからだった。事実は願いに反し、やがて認知症を患い徐々に輪読の習慣を続けるのが難しくなった。それでも記憶をたどると、牧師を隠退した2009年3月以降も続いていた。
この聖書は今は妻の入所(転居)している施設の部屋に讃美歌と共においてある。この讃美歌は受洗50年(1997年)を記念して教会から贈られたものだ。昨日、妻を施設に訪ねたとき、妻の枕元でこの聖書を開いた。そのとき気づいたのだが、一枚のメモが挟んであった。妻が書いたメモだった。そこには次の聖句が羅列されていた。
イザヤ書40章の31節 イザヤ書28章の16節 フィリピの信徒への手紙4章の6節
ヘブライ人への手紙11章の1節 コロサイの信徒への手紙2章の3節 テサロニケ信徒への手紙Ⅰ5章の16節 詩編121編1節~2節
マタイによる福音書7章の7節 マタイによる福音書11章28節
何を元にしてこれらの聖句を書き出したのかは判らないが、それぞれにそうとする聖句には、赤鉛筆の傍線が引いてある。そういえばいつも教会の礼拝に持って行く妻の聖書には細かい書き込みが多くあり、あるところには僕の説教へのコメント(批判)が添えられているところもある。熱心に聖書を読み、厳しく説教を聴く妻だったのだ。
昨日、施設の、ある主任と半時間ほど語り合った。それは僕が入院、手術のおよそ二ヶ月間妻を訪ねることが出来なかった間に、妻は大変衰えたと感じたからだ。確かにそうらしく、刺激が失われた期間に老衰の兆候が見られるという。妻の命は神の聖手に委ねられているのだ。聖心に委ねよう。

明日から令和

2019年4月30日(火)
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この写真は四年前の庭に実るサクランボウの様子だ。しかし昨年、植木屋さんが桜の枝を剪定したため、サクランボウは実らなくなった。残念なことだ。
さて今日は平成最後の日という。明日からは令和という元号になる。天皇制の故なるか面倒なことである。僕は信念として主の年歴を尊びたい。
体力は相対的にみれば回復基調にある。この二回ばかり、娘のお世話にならずに、タクシーとバスとでホームに妻を訪ねることが出来た。昨日はバスに乗り遅れ、送迎バスが出る衣笠病院までタクシーを使ったが、帰りはバスと電車を乗り継いで帰ってきた。体力の復調の証であろう。近所のコンビに、介助なく行くことができる。ただ問題は食事である。一食の量を慎重に気をつけないと、苦しく、収まるのに半時間以上はかかる。従って一日に数回に分けて時間をかけ摂っている。
妻のことだが、ホームの介護が悪いとは思わないが、二ヶ月ほど会わない間に大変衰えたと感じるのだ。今では『帰りたい』という言葉は聞かれなくなったし、僕自身を果たして認識できているのか不安になる時もある。でも昨日は、僕を見るなり笑ってくれた。それを見ると認識してくれていると勝手に思うのだ。情けないことだが、どうしても過去を思ってしまう。手元にある妻の日記を繰り返し読んでいるが、これも過去を顧みる弱さの現れであろう。今の妻の現実をしっかりと受け止め明日に向かって歩むべきだと自らを叱咤している。

自宅療養

2019年4月15日(月)
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野鳥の会より

二ヶ月ぶりにブログを開いた。胃癌の手術で2月25日に胃の上部三分の一を切除し、ついでに胆嚢も切除した。3月16日に退院したが、当初は何をするにも気力が湧かず、制限された食事を義務感のように胃に流し込んでいた。多くの方々から見舞いのカードやお手紙を頂いていたが、礼状を書く気力もなかった。やがて気力が多少出てきたので、メールでの礼状を書くことの出来る方々には送り始めた。そのうちに字が書けるようになり、返事を出すようになった。この変化を体力の回復を示すものと言えるのであれば、確かに体力は徐々にしろ回復の傾向にあるのだろうが、それは目に見えて感ずるほどのものではない。歩くことは大分できてきたが、家の外には単独では出ることは無理だ。いまはあるいは単独で外出出来るかも知れないが、まだまだ自信がない。何よりも辛いのは、妻を施設を訪ねることが単独では出来ないことだ。娘が都合のつくときに車で送ってもらい二度ばかり訪ねてきた。最初に訪ねたとき施設の職員の方々からハグされるほど僕の回復を喜んでくださった。食事は食材を娘にお願いして調達するが、調理は出来るだけ自分で行っている。カロリーを考え栄養の配分を資料で調べ食材を選ぶのだが、結構面倒で、あるいは栄養に偏りがあるかも知れない。従って毎朝体重の測定を怠らず行っている。ここのところ毎日43キロを境に大きな増減なく、推移している。ただ体温が7度2分と微熱が続いているが、入院中のバイタルチェック時も同じようだった。テレビを見るがニュース以外は馬鹿馬鹿しく特に民放のコマーシャルには閉口している。従ってあまりテレビには興味を持たない。一日庭を眺めて過ごすことが多いが、梅の大木は新緑に覆われはじめ、真っ赤な椿の花が目を楽しませてくれている。今年はレンギョウがきれいに咲いた。蝋梅も新緑に染まり、僕の体力の回復より自然は確実に春から初夏へと体力を備えているようだ。21日はイースターだ。この日には礼拝に復帰したい。19日~20日にショートステーがホームで受け入れてもらっているようで、そのときは一日妻に会うことが出来る。有り難いことだ。

入院、手術、嗚呼

2019年2月21日(木)
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このところ雨が多く気温が三月から四月並とテレビは語る。春が近いのではと思うが、こちらは春とは言えない境地。胃癌の手術が25日と決まり、明日入院することになる。
12月6日に胃癌が発見され、早期の胃癌と宣告され、二ヶ月になる。昨日、医者はついでに胆嚢も切除するという。胆石が沢山あるらしい。入院は二週間。
書斎を整理していたら妻の手帳が偶然出てきた。2006年のポケットダイアリーである。その年の九月にネフローゼ症候群に罹った。その九月十五日のところに『共済病院に入院ネフローゼ症候群』と記されていた。欄外に『不安と怖れが体中を満たしている パパが帰る時フィリピ4:6~7を与えられた。神のなさることは時にかなって美しい。感謝。委ねて神のみ手をまつ。』と書いていた。偶然とはいえ僕もまた勇気と安心を得た。感謝。
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