ジレンマ

2018年6月17日(日)
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昨年頂いた紫陽花を、庭の片隅に植えておいたら、結構成長し、今年は美しい花が咲き誇っている。なにも手入れをしてやらなくとも紫陽花は本分の開花をしっかりやり、梅雨の時に合わせて美しい姿を見せる。植物は勿論、神の被造物だが、手入れをしない人間に何も不平を言わずに、創造の神のご意思にそって自らの務めを果たすのだ。それから考えると人間は怠惰なもんだ。
妻の皮膚がんの治療は複雑な手順の塗り薬で始まったが、14日に面会に行ったとき塗布する場所が違っていた。ざらざらしているのでそこだろうと介護士の方が判断したらしいが、手術に立ち会ったとき、患部はもっと上の方だった。早速看護師の方を呼んでいただき、場所の確認をしたが、はっきりとはしなかった。塗られた場所は赤く変色していた。皮膚科の先生と確認して対処することになる。医者は常駐ではないのでこのような時は極めて不便である。
ホームに妻を訪ねて毎回思うのは、食事の供与、排せつの世話、定期的な風呂、日常の着替え、洗顔に歯磨き、投薬といった生活面での介護は完璧だろうが、機能的な訓練、つまり歩行能力の向上のための訓練、言葉のリハビリ、孤独に対しての精神的なケアーはとても十分とはいえない。それらは特養の果たすことの出来る行為ではないのだ。施設の機能上、果たせないのだ。それを責めるつもりはないが、ではだれがその勤めを果たすのかと問われると、家族しかないのではないかと思う。そこに出来る限りの時間を家族が寄り添ってゆくべき勤めがあると思う。勿論それぞれには家庭の事情がある。寄り添う時間が容易に得られないのも理解できる。だから結局成り行きに任せる以外に道はないということになるのだろう。
特養に入れば認知症が進行するということを聞かされたが、妻にはそのことがはっきりわかるのだ。では家に連れ戻せるかといえば、最早家庭では介護が出来る状態ではない。そこにジレンマがあり、辛さがあるのだ。許される限り、寄り添ってゆく時間をより多く求めてゆこう。

皮膚がん

2018年6月12日(火)
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NHKの画像から

このところ庭が荒れ放題。大きな梅の実が庭中に転がり落ち、朽ち果ててゆく。一昔前なら梅の木に登って丹念に採ったものだ。庭一面が草で覆われ、ドクダミが我が物顔で白い花を咲きほこらせ、庭の飛び石を覆うように青い葉っぱが茂るに任せている。妻が施設に転居してからは、庭もそうだが、リビングルームも雑然として潤いがなくなった感じだ。つまり家庭の温かみが感じられない環境になってしまった。観葉植物も最近までは部屋のたたずまいを明るくしていたが、その面影が消えてしまった。
結婚直後に妻が行商に来たおばさんから買い求めたモンステラが、二メートルほどに成長し、みずみずしいみどりの葉を茂らせていたが、ウッドデッキに放り出していたら枯れてしまった。63年の結婚生活の歩みと共にしてきたのに、なんとも残念だ。ところが最近根元から芽が出てきて青葉が育ち始めた。起死回生とばかり今は大事に育てている。
さて妻の健康だが、先に書いた皮膚がんの件はこの7日の担当医の説明で癌と判明した。
べセルナクリームという薬を処方された。これは面倒な扱いで、一日おきに週三回、一か月患部に塗布するのだが、毎回、夜には洗い流す必要があるのだ。一か月経つと次の一か月は塗布をやめ、また同じサイクルを繰り返すのだ。介護士の方も大変だと思うが僕は見守る以外に道はない。完治して呉れることを願ってやまない。
最近僕が体調を崩し、レントゲンやCTでの検査を受けた。心臓が二年前に比べて肥大していることが判った。今のところの診断は心不全だそうだ。しかし肺にガラスの粉のような異質なものが見えるそうで、その原因を今後突き止めてゆくことになった。幸い肺がんではないらしい。お陰で週に一回担当医の診察を受けることになる。時折37度を超える微熱が出る。家族は週に三回もホームに面会に行くことで疲労が蓄積しているのではないかと危惧してくれている。しかしこればかりはやめたくない。少しでも多くの時間を妻と共有してやりたいのだ。

梅の実

2018年5月30日(水)
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今年は気候の影響か庭の梅の木の実が例年より早く、多くの実を実らせた。通常は小梅の方が早く実るので、大半が収穫されないまま庭に散乱している。大きな方も多くの実が庭に落ちてくるので、先週の土曜日に娘と梯子を用いて採れるものを収穫した。高いところにある実は諦めた。それでも七キロはあったので、一キロを梅酒に漬けた。今年はホワイトリカーでなく、ブランディーで漬けてみた。レシピーによれば三・四年で美味しくなるという。果たしてそれを味あうことが出来るだろうか。
さて妻のことに触れよう。ホームで皮膚科の医師が妻のこめかみ付近の皮膚に異常を発見した。日光顔面硬化症という一種の皮膚がんだそうだ。精密に検査するために、23日に病院で局部麻酔をかけて患部を薄く切り取られた。検査結果は6月7日に知らされるという。皮膚がんは転移が早く、特に肺に転移することが多いという。癌となれば抗がん剤を用いるが、正常であれば液体窒素で患部を焼くという。
なんとも厳しい現実に心が滅入るが、全ては主の聖手の働きのうちにあるのだ。この現実を受け入れ聖心なれば治癒を祈りたい。

心の余裕

2018年5月15日(火)
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荒れた庭にも一輪

妻が特養に転居して以来、なぜか心に余裕が持てない。最近は説教準備に時間に追われるわけでもなく、外部の会合に時間をとられることも少なく、いわば結構ひまなのだ。せいぜい週三回のホームへの妻の面会ぐらいが、僕のルーチンとして時間がとられるぐらいだ。それなのに部屋の片づけはおろか、書斎の本の整理もままならない。説教塾からの資料を読むことも、買い込んでいる専門書をひものどくこともままならない。ましてや庭の手入れ(雑草抜き)には手が回っていない。今年は梅が早々と実をつけた。毎年梅酒のために収穫するのだが時間がない。三月には実る小梅などは、落ちるに任せた。さくらんぼうもそうだ。一日公平に与えられる時間はあるのに、それを効率よく使っていないのだ。部屋に掃除機をかけることもしていない。目に見えない何かに追いかけられているようで、落ち着かないのだ。
ただ、妻への面会は往復とも交通機関の時間に束縛されているから、これらと違ってきちんと行動が出来ている。洗濯や食器の洗いは全て機械任せで苦にはならない。心に余裕があるなしには関係ないのだ。
こうしたことは精神的な病なのだろうか。この間ある方との話で、『発達障害』という事例についてその意味に内蔵する病について気づかされた。僕は発育上の問題で俗にいう知恵遅れをいうのだと思っていた。でも違うようだ。きわめて健常で外見的にみても、行動も、語る言葉も内容も吐露する専門知識もなんら遜色することがなくても『発達障害』はありうるのだそうだ。ことによると、心に余裕が持てないのも、所謂『発達障害』なのだろうか。
最後になったが妻のことに触れよう。この間、『帰りたい』という言葉から『帰ろう』になったことを書いた。昨日も相変わらず『帰ろう・…』だった。それに対して、食事がミキサー食でなくなり、左手の掌が開くようになり、一人で歩けるようになったら帰ろうねという、毎回同じ慰めともつかぬ僕の言葉に、激しく抵抗する。上履きのまま僕のむこうずねを力任せに蹴るか、拳で殴り掛かるか、唾を吹きかけるか、眼鏡をもぎ取るかで結構な力で抵抗する。愛情の裏返しですよと、介護士の皆さんは言うが、僕にはそうは思えない。ここに幽閉(?)されたことの僕への怒りだと思う。違うかな?

パパ帰ろう

2018年5月2日(火)
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満開のつつじ

予想通り四月は二本しかアップ出来なかった。前にも書いたが、なぜか体がけだるく、それに気力がそがれた気分なのだ。いきおいブログも気が乗らず、二本という始末になった。
妻のところには月、木、土と週三回訪ねているが、大体七時間は時間を共にしている。その間は、特に何をすることでもなく、車椅子の妻を館内の廊下を押して歩くか、一人で足を起用に使って前進する妻を少し離れたところで見守り、曲がり角で苦労すると、そっと手を出すのだ。妻の居室は二階だが、エレベーターで三階に上がり、ガラス戸越しに屋上の庭園を眺めたりする。天気が良く、風が弱い日は、屋外に出て、とてつもない大きい桜の木の下で時を過ごすことも多い。今は葉桜になったが、満開のころは花見よろしく桜吹雪を浴びたもんだ。
時を一緒に過ごしても特に何が出来るものではないが、寄り添っていることだけでも意味があると思う。限られた人数の介護士では、一人一人に始終寄り添うことはできない。畢竟孤独の時間が多くなる。そうした場合、僕がおることで介護する側にも助けになるだろう。特に排せつの問題などは一定の時間を見計らってトイレに誘っているが、妻の場合、僕がおれば『パパ・・・トイレ』と訴える。その都度、介護士さんに頼むのだが、快く応じてもらえる。トイレの自立性にも役立つのではないかと思う。
会話が流ちょうに出来ないから語り合うことは今はむずかしい。食事がミキサー食でなくなれば、自宅に外泊させることも夢ではないだろう。最近は『パパ帰りたい・…』とは言わなくなった。『パパ帰ろう・・…』と言うのだ。微妙なニューアンスの違いだが、これは妻にとり大きな心の変化だと思う。『帰りたい』という場合は拘束されている自分の解放を願っての訴えなのだ。しかし『帰ろう』は帰ることが既成の事実で僕との行動を促しているのだ。
この心境の変化をどのように理解すべきか真剣に考えたい。つまり自宅での老々介護を当然の事実として受け止めているのではなかろうか。悩ましくも辛い言葉だ。
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