今は昔

2017年10月17日(火)
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一年に二回は山梨にあるお気に入りのホテルに行く。この写真は二年前のもので、甲府盆地を見下ろすホテルのテラスで憩いのひと時を楽しんでいるときのものだ。毎年毎年、飽きることなくこのホテルを利用しているが、たいていは一泊二日の行程なのだ。時には予約なく、昼間に昼食を楽しみに行く日帰りの時もあった。往復300キロ余りのドライブだが、妻は何時も楽しんで助手席にくつろぐように座っている。今は車がないが1957年からほぼ60年間、ドライブを楽しんだことになる。妻も1964に免許を取得していた。しかし長距離ドライブは常に僕がハンドルを握る。まだ東名が出来ていないころ、旧東海道を走ったことが懐かしい思い出である。神戸まで行くのに東海道線の駅に立ち寄り、駅弁を買って走ったこともある。
東関道、中央道、関央道、東北道、常磐道など今なおドライブの楽しさが脳裏に残る。妻がちょこんと助手席に乗っていたのだ。車をやめその車を長男に譲ったあと、駐車場には僕たちの車がない。玄関を出るとき、決まって妻は『私の車は?』と聞く。そのたびに今はもう僕は運転できないのだというと、決まって『私が運転するの』と言うのだ。
妻が特養に入所してからは僕はちょっとしたことでも妻を想い涙ぐんでしまう。特に9月1日の朝のことが脳裏から消えない。どうにもならないことが判っていても、悔悟の念が消えない。僕を起こすまいと思ってくれたのだろう、一人で廊下をトイレに向かったのだ。日頃からトイレの場所が判らず、昼でも僕に『トイレはどこ?』と聞くのだった。廊下を右に曲がれば左手がトイレだが、左に曲がってしまったのだ。手に触れたノブを下げたに違いない。リビングの扉なのだ。手前ではなく奥に開く。ノブをつかんだまま扉に寄りかかるように倒れたに違いない。
どんな思いだっただろう。パパ、パパと呼んだかも知れない。怖かったろうに。でも、もし右に曲がっておれば左手のトイレを通り越してそのまま玄関の方に進んだかもしれない。そうすれば段差のある玄関の土間に、うつ伏せに倒れたに違いない。そうだとすれば顔面はおろか、頭を強打し一命を落としたかも知れない。そう考えるとリビングで良かったのだ。でもどうであれ可哀そうだった、不憫でならない。まだ施設では僕が面会することは許されていない。もっぱら娘が仕事の合間を縫って会ってくれている。話かけても反応が少ないという。面会の許可が下りれば、飛んで行って抱きしめてやりたい。

人の痛み

2017年10月6日(金)
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野鳥の会より
妻が9月28日に特養に移ってから一週間が経った。僕は面会を許されていないから、ほぼ毎日娘が面会に行ってくれている。居室にはベッドと小さな洋箪笥程度しかないので、入所した日には取り敢えずテレビを購入した。一昨日、娘とソファーを家具屋に見に行った。あまり大きなのは不必要なので、手ごろなものを見つけた。明日7日に配送されるという。こうしたことは、入所とはつまり居宅としてそこに定住することなのだ。もう再びこの家に戻って、普通の家庭生活を送ることが出来ないのだと気づかされた。当然のことだけれども、現実に気づかされると、限りなく切なくなる。9月1日の早朝、なぜトイレに行くのに僕を起こさなかったのか。いつもは『パパ、トイレ』と、起こしてくれるのだ。大抵は起こされなくても気配を感じトイレに連れて行くのだ。いつもトイレの場所が判らなくなるからだ。気づいてさえおれば、朝の四時までリビングルームの扉を押し開いて朽木が倒れているように、しかもおびただしい出血と失禁にまみれていなくてすんだのにと思うと、自責の念と不憫さが交互に入り交るのだ。娘たちは早くから僕の介護は限界だから施設を考えるべきだと言ってくれていた。しかしどうしても施設に入れるのは不憫で決断ができなかった。しかしこの事故(?)で入院し、それが契機で特養に、それもまさかと思われるほど早く入所できたのだ。神様はどのような手段でもって僕の決心を促そうとお考えだったのだろうか。不憫と思われるこのような事態を起こすことによって決心を促されたのだろうか。施設では行き届いた介護で妻の身の危険もなくこの一週間が過ぎた。今はとても辛い日々だ。しかし妻は生きているのだ。僕の周りには伴侶を亡くされた方がたくさんおられる。教会で会ってもみじんも辛さを顕していない。僕の辛さの比ではないだろに。そう考えると僕は今は人の痛みがいくらかでもわかるようになったと思う。やはりご恩寵なのだ。

激動の九月

2017年9月30日(土)
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この月はまさに激動の一か月だった。9月1日に倒れ病院に救急搬送され、結局26日間入院していたことになる。その間、毎日、朝の10時ごろから夜の八時まで病室に居ってやった。パソコンを持ち込み、専門書や文献を持ち込んで枕もとに侍った。まさに世界が違った26日間だった。昼の食事に街に出たが生活力のあふれる下町の情緒に存分に浸かった。
今の住まいの街とは違って、活気があふれ出ている。そのような活気づいた街の風情とは裏腹に、病室の空気は沈滞していた。嚥下機能に問題があり十分に食事もとれず、足腰も一人では立てないほど衰弱してしまった。病院でのリハビリも的確に効果がでないまま退院の日を迎えた。特別養護老人ホームへの入所は僕の願いもむなしく、病院から直接ホームへとの移動であった。しかもホームでの生活に慣れるまでは僕は妻に会うことを禁じられた。だから28日の退院の日も、すべては娘が取り仕切ってくれたし、今後のホームとの連絡は娘が窓口となり僕が関与することを許されなくなった。妻のホームへの入所は我が家にとっては革命にも似た生活形態の激烈な変動である。

さらなる試練が

2017年9月22日(金)
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妻が9月8日に退院したことを先のブログで書いたが、その三日後の9月11日に再び入院した。足の傷を治療することが主な目的だが、この入院を積極的に進めてきたのは在宅診療を依頼している医師からであった。僕としては入院が必要なことかを考える間もなく、事態の推移に乗せられた感じである。入院後の妻は日に日に衰えてくる感じだ。今は言葉が出なくなった。立ち上がることも難しくなった。環境の急激な変化による精神的なショックによるものだろうか。現在入院している病棟は外科病棟で主治医も外科の先生なのだ。精神的な変化というものにはあまり関心がないように思うのだ。それとも主治医はすべてを掌握しながらの治療を進めているのだろうか、その辺は僕にはわからない。一方、病院に配属されている退院後の生活を精神的に支援するためのケアマネージャが妻の症状を判断しながらの今後の生活方針を指導してくれている。それは退院後は直ちに施設に入所することだと薦めてくれている。施設への入所が先になるのであれば一応地域包括治療病棟に移す考えでいるが、今はベッドの空きがないという。施設への入所は何時になるかは今のところ僕にはわからないが、手続きは進んでいるようだ。基本的な計画は自宅に戻らず病院から施設へという方針らしい。これは僕には妻が可哀そうで簡単には受け入れられない。いずれは施設にお世話にならざるを得ないであろうが、病院から施設へはちょっと考えたいのだ。出ない声でしばしば家に帰りたいと訴えている妻を知る僕には一応は家に連れ帰りたいのだ。いずれにしろ施設入りが具体的になる時期を迎えて心は複雑である。

僕としては大事件

2017年9月7日(木)
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野鳥の会カレンダーより

少しブログが疎遠になったが、実は我が家としては大きな事件が起きたのだ。
9月1日の早朝四時、ふと目が覚めると隣のベッドに妻がいない。午前二時には僕が妻をトイレに連れて行った。そのあと眠ってしまったようだ。大抵は妻が起きると僕は目ざとくそのことを知るのだが、この時はわからなかった。慌てて飛び起き、まず玄関に走った。玄関のドアーは内側からチェンがかかっていた。徘徊ではないことを確認し、リビングをみるとリビングの入り口のドアーは開いていて妻がリビングに倒れこむようにうつ伏せに倒れていた。顔を左に向け口の周りには唾液なのか結構多量の液体が流れ、周囲は血が辺り一面といった感じで流れていた。我を忘れて仰向けに起こそうとしながら呼びかけたが応答はなかった。いち早く脈をとったが心臓は動いているようだった。ともかく119番通報をし救急車を要請した。ほどなく駆け付けた救急隊員により車に運び込まれた。隊員によれば一時間は経っているという。
そうすれば午前三時頃に倒れたことになる。救急車は引き受けてくれる病院の折衝にゆうに三十分はかかった感じだった。結局横須賀共済病院に搬送された。前日定期の診察を受けた病院で電子カルテには詳細な記録がある病院なので半ばほっとした。救急外来の診察を受け入院することになった。当直医は呼吸器内科の専門医だった。医者からは延命治療はするかと問われた。延命治療ははっきりと断った。診察の結果は全身打撲、身体不動、誤嚥性肺炎の疑いであった。入院後は次第に意識を取り戻し詳細なCTやMRIの検査を受けた。たぶん朽木が倒れるようにフローリングの堅い床に全身をぶつけたのだろう。右足のひざ下に足の骨に達するかと思われる深いえぐられたような傷があった。多量の出血はこの傷によるものだった。診察が進むにつれ不顕性誤嚥ということが判り肺炎を予防する治療が行われた。抗生剤の投与などが効いたのか炎症反応も正常値になり結果は明日八日に退院することになった。ケアマネージャーの方針で帰宅後できるだけ早い時点で、短期間でも長期療養型の病院に転院する予定である。厳しい一週間であった。この間、牧師をはじめ幾人かの友人たちの見舞いを受けた。感謝である。
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