黄金週間

5月1日
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29日から世の中はゴールデンウイークという週に入った。僕にはいや我が家には関係のない週である。この週を敢えて日本語で書けば「黄金週間」とならう。これはどうも馴染まない言葉である。味気ない言葉である。言葉には命があるのだろうか、英語の方が音感が良いのだろうか、すんなりと耳に入る。

28日は精神科の定期診察日だった。毎回思うのだが、精神科の診察はどこまで意味があるのだろうか。内科や整形外科や皮膚科や耳鼻科に掛かっているが、いずれもが診察する患部が具体的に所見なり、検査データなどで医者自身が症状を判断でき、患者自身の症状の訴えを診断の裏打ちに出来る。電子カルテでそれぞれの主治医は他科の内容を必要となれば参照できる。精神科も同じことだ。
しかし精神科の場合、主治医の問診に妻が答えると言う形で診察されるから、妻が要領よく答えれば、それはごく表向きの状況を知るだけで、あまり意味がなく実態が診断できない危惧を持つ。同席の僕が妻の前で日常の様々なことを訴えると言うことは、事実上出来ないから僕自身、精神科の診療について不安を抱いているのだ。
日曜日には教会に行き、家庭では掃除や洗濯をし、炊事は夫がやるものの、それは趣味的で一緒に手伝っている。と言った妻の発言を聞き、どこまで精神科医は事態を見抜けるのだろうか。
しかし、家庭での妻の生活態度は全く生彩を欠いている。食事の終わるころ(特に夕食)やTVを観ている時、漫然とくつろいでる時、気がつくと居眠りが見られる。感情の激しい起伏があり一日を100とすれば70パーセントはいわゆるご機嫌が悪い。
客観的には難聴のために会話に入れない。そのことが疎外感と、それによる被害妄想が起こるのであろう。家庭内の情報が共有出来ていなくって、つまり自分には知らされていない言う被害者意識になる。食事の献立は全く意欲的に取り組まない。(取り組めないのだろう)。三度三度僕が提案し、食材を決める。調理を手伝うのだが、何をして良いか判らないから、劣等感を持つようだ。
難聴にしても、自分を絶対化して全て相対的に相手の欠陥にする(発音、発声、音程・・・)。聞こえにくいから何とかしなければと、謙虚に対応を考えようとはしない。何度か補聴器を薦めるが、それはプライドを傷つける結果になる。激しい怒りが爆発しても敢えて逆らわず、事態の沈静を待つ、つまり発作が収まるのを待つという知恵を僕が働かせるの最近だが、それは僕への相当のストレスになる。僕自身が書斎に入ることは、自分の存在を無視されていると理解するようだ。(それでも僕は僕の勉強をと思って嵐の中を自分の時間を取ることに懸命なのだ)
友人が贈って下さった、樋口了一の『手紙』はその内容が理解できないようで見向きもしない。つまり自分自身が痴呆症を患っていると言う理解がない。だからいっそう、具体的に話そうかとも思う。娘に相談すれば、娘は『かえって自分を馬鹿にするのか』と丁度難聴を否定するように、しかも知能のことだけにもっと激しく反発して逆効果ではないかと危惧する。そのようなことだから、要介護1に則ってケアーマネージャーにケアプランをと言った具体策には到底入れないだろう。
それでも最近は木彫りやパッチワークと言ったものへの意欲が少し顔を出した兆しが見える。『毎日が発見』という雑誌の鍛脳ドリルは僕と一緒にやれば関心を持つようだ。いずれにしろ短期の記憶は顕著に衰えてきたことは日常の様々な出来事を通して実感出来る。
外部との交わり、趣味への興味、読書、手紙を書くこと、献立を考えること、散歩すること・・・なんとか手をひっぱて行きたい。幸い教会は唯一の外部への突破口になっている。主日の礼拝を守ることが信仰の証以外に、妻にはリハビリにもなるのだ。明日は五月最初の主の日だ。祝福のうちに送らせて頂きたい。
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