物忘れフォーラム2010

2010年11月30日(火)



兄弟同様の従兄弟の葬儀が東京の教会で行われた。87歳だった。乾燥地帯の地理学者だった。死の直前まで中東の乾燥地帯に研究のため出掛けていた。一人っ子の私とり兄のような存在だった。
葬儀に出るため予定されていた教師会を断り出掛ける積もりでいたが結果は出席出来なかった。妻がその前夜から荒れたために精神的に参ってしまい出掛ける気力を失ったからだ。その原因は前日の夜、超党派の宣教研究会があった。それに出席したことが引き金になったのだ。
教師会や研究会のように私が一人で出席しなければならない場合、妻はひどく私の出席に抵抗するのだ。何故だろうか。つまり自分は見放されていると考えるのかも知れない。書斎に籠もることと共通の問題かも知れない。やはり症状の表れと理解すべきであろう。

月曜日の朝日に「物忘れフォーラム2010年」の全紙二面にわたる記事が出ていた。認知症への対応は早期発見が決め手だという意見が出ていた。そこには妻に当てはまるチェック項目が記載されていた。私は妻がそれを見て自分の症状を察知してくれないかと願っていた。そのためにその記事を読むように薦めてみた。しかし結果は最悪だった。「人を認知症扱いにする気なの?」と激しい怒りが返ってきた。

セカンドオピニオンのことも前に書いたが、何故、別の医者の診察を受けなくてはならないかを納得させることは
不可能に近い。認知症患者も癌患者もそのどの疾病患者も同じ患者に違いないのだ。しかし妻には認知症は恥ずべきこととしての理解なのだろうか。それは知的障害者を差別する目と同じではないか。

聞こえが悪くなるのも、足が痛むのも、腰が痛むのも、目がよく見えなくなるのも老いに伴う自然な症状なのだ。恥ずべき何ものもない。しかし妻にはそうしたことが世間に恥ずかしいことと感じるのかも知れない。肉体的にも精神的にも敗北者とかんがえるのだろうか。だとすれば、それが厄介なプライドというものだろう。そのハードルを越えない限り、妻には打つ手がない。同じような患者が世間には多いはずだ。その方達はどのようにして介護されているのだろうか。
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