今をいかに過ごすか

2012年1月30日(月)
NHKアーカイブより

スーパーのような不特定多数の人たちに怒りをぶつけることはすでに珍しいことではなく、そのための万全の配慮というより気配りを怠らぬよう努めているが、いつどんなことで事件になるか気が気でなことは事実だ。ところが最近は教会の人たちに対してもあからさまに意見をぶつけるようになってきた。29日の日曜日、礼拝後会食があった。ロの字型に配置されているテーブルにそれそれそれが席について食事をした。妻の向かい側に座っていた高齢の男子の方がお茶を求めるために隣に座っていた老婦人に、妻の側にある急須を取ってくるように頼んだのだ。それを見て妻は激しくその方を戒めた。『お茶ぐらい自分で取るべきですよ、女が給仕する者だと思っては間違いだ・・・・』。最近妻は激昂するとろれつが回らなくなる。だから余計に目立つ言葉になる。
相手の方は苦笑いでその場をしのがれたが、今までは教会のような知り合った群れの中ではそのような所作はなかった。確かに妻は正論を吐く、しかし社会の中で生きて行くには正論ばかりが通じるものではない。そこには環境によって妥協して行く場合も必要なのだ。とくに知り合った中では俗に言う平和な人間関係が求められる。ましてや不特定多数の場合は人間関係というよりも平穏な秩序を保つためにも自制することが必要なのだ。だが。こうしたことが嵩じると、今に時と場所を考えずに自分の感情をはき出すことになるのではないか。そう考えるとこれから先どうして介護して行くか不安がよぎる。しかし先のことは今考えてもどうにもならないだろう。今をどう対処して行くかを考えるべきではないか。
テレビはNHKのニュース以外はたとえドキュメンタリーであっても興味を持たない。ドラマや映画は鼻にも掛けない。歌謡曲などは唾棄する。自分の趣味が最高だと思っている。もちろん健常な頃は歌謡曲はともかくそれ以外は毛嫌いするものはなかった。友人とのつきあいも、教会での交わりも、きわめて愛される立場だった。しかしいまは違う。いたづらに孤高を囲っている。それをプライドというべきか。そうかも知れないがやはり病のせいなのだ。アルツハイマーの患者としてはもっともやっかいなパタンーだと聞かされる。
予期しないことで激し怒りを僕にぶつけるが、同じ調子でいずれ周りの人にも関わって行くのではないかと危惧する。クリスチャンのケアーマネージャーで良き相談相手になってくれる人があればと思うが、難しい問題であろう。
明日は教師会があるが出かけることは難しい。ともかく僕が一人で行くことが我慢できないのだ。
娘は、振り切って出かけるべきだと言う。それが出来れば問題なのだが。

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