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妻に適する治療は望めるだろうか?

2012年10月29日
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東京湾を行く大型タンカー

アルツハイマーにはいろいろパターンがあるのだろうが、専門家の意見では妻の場合はもっとも面倒な部類に入るようだ。食事、トイレ、入浴などは全く自立しており、文章を読むことも書くことも出来る。もっとも字は健常な時のような達筆ではない。相対的に乱れている。ただ明らかなことは短期の記憶障害が完璧に現れている。去る25日から孫娘の結婚式のために家族総出で米国ニューオリンズ出かけているが、その事実は記憶にないようだ。娘の仕事の送り迎えを我々がしているが、毎朝送らなくて良いのか、夕方になると迎えに行かなくてはいけなのではと僕を督促する。難聴も災いしているから聞き逃すことも多いが、何度繰り返しても理解したときはそれが初めてのことと認識する。勿論自分が認知症であることは理解していない(心の中は判らないが)から、精神科に行くにもなぜここに来るのか主治医の質問にくってかかる、週一回の要介護1の認定に基づいたリハビリに通うのも、いわゆる認知症対応ではなく認知症であることを理解された上の身体障害者のリハビリだ。それでけになぜ自分がこのような治療を受けるのかということを遠慮会釈なくお世話をして下さる理学療法士に毒づくのだ。ケアマネージャーとの協議の上の処置だが、いわゆるデーサービス、ショートステーといった社会には絶対なじまない。一つには自我をむき出しに相手を批判するし、不愉快なことへの感情の自制が出来ないから誰はばからず意見を言う。そう書けばそれほど問題ではないではないかと思うだろうがそうではない。髪を茶色に染めている人には目が黒いのにちっとも似合わないと相手を批判する。デーケアーなどでは多くの認知障害の方がいる。おそらくその人たちと協調して作業や運動やゲームやをやることは絶対出来ない。いわゆる協調精神が欠落している。いやそれよりもそうしたハンディーを持っている方を侮蔑しかねない性格をむき出しにするだろう。補聴器を拒否するのも補聴器をつけている人は障害者だ、杖をつくことを勧めても杖をつくのは障害者だ、自分は違うといういわば自負というかプライドというかそうした自尊心がすべての障害になる。11月6日にお世話になっているケマネージャーが新たな施設を斡旋するべくその責任者を伴って来て下さる。表向きは市の福祉課の高齢者への定期訪問だという理解にさせている。だが果たして妻に適合する施設を臨むことができるだろうか。
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