心の表裏(裏は理性によって隠されている)

2013年6月29日(土)
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ノウゼンカズラ(先日らいの風雨で蕾を残して満開の花はゴミとなった。だがやがて再び満開の花が開く。)


断捨離というのだろうか時代を経て書斎を埋めてきたものを整理して不要なものを処分する。八十路の半ばに達すれば身辺整理も後顧に憂いを残さぬためにも大事なことのようだ。古い手箱を開けると僕が旧制中学を卒業した1947年(昭和22年)の友人たちの手紙や葉書が保存されている。いずれも旧制高校(僕は一高<現東大>を目指していた。結果は向陵を突破できず同志社に)への進学の試験準備の戦いをお互いに鼓舞するもの、準備の進まなさの絶望に嘆くもの様々だ。まさに青春の想い出だ。葉書は5銭の時代だった。その手箱に社会人になり、初めて海外出張した出来ごとに関係する文書がある。1954年(昭和29年)1月インドのカルカッタ(現在のコルカタ)である。占領下の沖縄を経由マニラで一泊してバンコックへ、さらに一泊して目的地コルカタ。そんな時代だった。会社の組合が壮行の辞を墨痕鮮やかに和紙にしたためてくれた時代だ。そうした文書の中に既に婚約していた妻の僕への航空便が三十通ほど残って入る。その年の4月に帰国したから三日に一度の割の手紙だった。僕を気遣う恋々たる思いの文字が達筆でぎっしりと綴られている。処分に忍びなく、僕の天への旅立ちに棺に入れて貰う積もりだ。翌年1955年(昭和30年)3月に結婚した。爾来、三人の子育て、薄給での生活、様々な社会経験でもまれて行く妻は三十通の手紙に示された心情は日常には現れなくなった。しかしその心情は時間により精錬され本質を失わず今日まで地味ではあっても残っている筈なのだ。健常な時、それを疑う余地もない日々であった。しかし今は違う。突然錯乱するように激怒し凶器があればそれを用いかねない一瞬が起こる。激昂型のアルツハイマーによる知的障害なのであろう。だが永くは続かない。それを理解しているから冷静に対応出来る。僕は思う。妻の本質は変わらないのだ。三十通の手紙に残る僕への心情は変わっていなのだと確信している。そのことを心に秘め今後の介護に心を尽くすべきなのだ。6月も明日で終わる。/span>
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