患難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を

2014年11月30日(日)
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礼拝堂 アドヴェントクランツ(点灯前)

11月も最後の日になってしまった。今日からアドヴェント、明日から12月、2014年もクリスマスを迎えて終焉に向かっての日々を送る。早い、確かに早い。余生が五本指で数えることが出来るこの歳になり、何を残して来たか、悔いることしきり。もっと充実した時間を過ごすべきだった。生かされているご恩寵にもっと真摯に応えるべきだった。しかし過去は戻らない、過去には希望がない。あるのは未来のみ。僅かな残された未来でも良い。学びに、祈りに、主にへりくだって歩もう。
最近妻との会話が上手く行かない。会話の身がないのではない、要するに音声的にコミュニケーションが上手く行かないのだ。もっと簡単に言えば妻は難聴なのだ。それは絶対認めないからこちらの音声が通じない。会話が上手く行かない所以だ。なぜ謙虚に難聴を認めてくれないのか。なぜ補聴器を使おうとしないのか。幾度か補聴器外来に出かけたが一週間の使用期間中まじめに試そうとしない。なれようとしない。一日経てばいつの間にか試用の補聴器は放り出されている。歩行もそうだ。一人ではまるでパーキンソン患者のようにおぼつかない歩き方で手助けがないと危なっかしい。しかし杖を使う意志はない。補聴器も、杖もそれは自らのプライド(正直に言えばプライドといった高尚なものではない、単純に言えば見栄だ)を傷つけられると考えるのだろう。この心を乗り越えないと介護は万事前には進まない。12月4日に施設の方がケアマネと来訪される。デーサービスの契約の為だ。しかしおそらく成功するまい。デーサービス、それは障害者の行くところだと決めつけている。障害者というものに明らかに偏見を持っている。許しがたいことだがそれが妻の性なのだ。何をする意欲もない、目を離すと、寝室のベッドの上に横たわっている。ドライブや、買い物や、教会の礼拝を中心に諸行事に参加させるだけでは活性化は望めない。やはり専門家の指導が必要なのだ。デーサービスに求めるのはそのことなのだが素直には受け入れないだろう。兎角悩まず12月4日を待ってみよう。
それにしても精神科医はなにをしてくれるのだろうか。痛い痒いといった問題ではないから精神科の問診は歯がゆい思いがする。無理もないだろう、精神という無形のものの診察であり診断であるからその根源の病、例えば妻の場合、アルツハイマーによる知的障害に対しての認定された投薬以外には道はないのかも知れない。だとすれば僕のような立場の人間が肌で触れあって介護して行く(理学的療法でなく)しかないのだろうか。
だがそれを口実に僅かな余生を無為にはしたくない。患難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を生ずるのだ。聖言葉に生きよう!!
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