栄枯盛衰

2016年10月27日(木)
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毎年、初夏から秋の初めにかけて百花繚乱とばかりに咲き誇ったノウゼンカズラが道路にはみ出て通行人に危害を与えかねなと思い、先日娘と二人で道路側の幹や小枝を思い切って切り落とした。この写真はその様である。果たして来年新芽がでるか、あるいはそのまま枯れ果てるか将に栄枯盛衰のきわみだ。
11月3日に教会でフェスタ(バザー)がおこなわれる。販売商品として献品を促されている。アルツハイマー型認知症(AD)を患っている妻は、かっての多彩な全ての才能が奪われてしまっている。使われてきた多くの道具は親しい友人達に差し上げた。このフェスタへの献品にも手元に残っているいくつかの道具を提供した。既にその存在が記憶から消滅しているものばかりで、妻の同意を求めるまでもなく処分している。一見無情にも思えるが、記憶に残っておれば手放すのもあるいは惜しくなろうが、その存在すら記憶にない今は、意向を聞くまでもないのだ。
僕の母が残した多くの和服は当初は手放したくないという妻の強い希望で40年以上もタンスの肥やしになっていた。最近鎌倉で古い着物を扱っている友人に引き取って貰った。立ち会った妻はなんの感慨もなく笑顔で立ち会ってくれた。ADとはそうした病なのだ。
一方、6月で車をやめて長男に譲り渡した事実は今尚理解出来ていない。車は僕たち夫婦のもので自分は助手席に、僕は運転席に乗るものと、その思いは消え去っていない。59年間の生活の歴史が身体に染みついているのだろうか。タクシーに乗っても必ず助手席に自分が、運転席には僕が、という思いは消えず、『うちの車はどうした?・・・・・』とチョットした波乱が起こるのだ。
車があった頃、娘が務め先から帰るときメールを送ってきたものだ。そのような時、たとえ夕食の最中であっても箸をおき、率先して車に乗り込んだ。今でも夕食時に『迎えに行かなくっていいの?・・・』と僕に聞くのだ。楽しみの一つであったのだろう。

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