人の痛み

2017年10月6日(金)
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野鳥の会より
妻が9月28日に特養に移ってから一週間が経った。僕は面会を許されていないから、ほぼ毎日娘が面会に行ってくれている。居室にはベッドと小さな洋箪笥程度しかないので、入所した日には取り敢えずテレビを購入した。一昨日、娘とソファーを家具屋に見に行った。あまり大きなのは不必要なので、手ごろなものを見つけた。明日7日に配送されるという。こうしたことは、入所とはつまり居宅としてそこに定住することなのだ。もう再びこの家に戻って、普通の家庭生活を送ることが出来ないのだと気づかされた。当然のことだけれども、現実に気づかされると、限りなく切なくなる。9月1日の早朝、なぜトイレに行くのに僕を起こさなかったのか。いつもは『パパ、トイレ』と、起こしてくれるのだ。大抵は起こされなくても気配を感じトイレに連れて行くのだ。いつもトイレの場所が判らなくなるからだ。気づいてさえおれば、朝の四時までリビングルームの扉を押し開いて朽木が倒れているように、しかもおびただしい出血と失禁にまみれていなくてすんだのにと思うと、自責の念と不憫さが交互に入り交るのだ。娘たちは早くから僕の介護は限界だから施設を考えるべきだと言ってくれていた。しかしどうしても施設に入れるのは不憫で決断ができなかった。しかしこの事故(?)で入院し、それが契機で特養に、それもまさかと思われるほど早く入所できたのだ。神様はどのような手段でもって僕の決心を促そうとお考えだったのだろうか。不憫と思われるこのような事態を起こすことによって決心を促されたのだろうか。施設では行き届いた介護で妻の身の危険もなくこの一週間が過ぎた。今はとても辛い日々だ。しかし妻は生きているのだ。僕の周りには伴侶を亡くされた方がたくさんおられる。教会で会ってもみじんも辛さを顕していない。僕の辛さの比ではないだろに。そう考えると僕は今は人の痛みがいくらかでもわかるようになったと思う。やはりご恩寵なのだ。

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