再び帰りたいという訴え

2018年2月6日(火)
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野鳥の会より

最近はあまり写真を撮らない。だから今まで掲載したものをくりかえし使っている。別に気温が例年になく寒いからというわけではない。どこか写真を撮る心に余裕がないのだ。
だがとくに何をするのもおっくうだというものでもない。書斎の整理、書籍の分類整理、家の掃除、炊事、洗濯といった家事全般、それに買い物など、あまり抵抗なくやる気がある。しかし何か落ち着かない、やはり心に余裕がないのだ。だからこれらのことが粛々と進むわけではない。蟻ではないが少しずつこなしている。でもやはり心に余裕がない。それは正しく妻が家庭にいないことだと思う。
この前に面会に行くたびに『帰りたい・・・・』という妻の訴えを書いた。そしてその時には必ず僕への激しい抵抗(暴力と言えるか?)がある。ある時、娘にそのことを話した。娘はそれは誰だって言うのだと言ってくれた。介護士の方も何方もそいった傾向にあるという。そうだろう。だが妻の場合は少し違うのではないかと思う。『帰りたい・・・』というときには、必ず僕の手を激しく握りしめ、皮膚に爪を立てるのだ。これは力の加減がないからすごく痛い。ある時は皮膚から爪のため血が出ることがある。上靴のまま僕のむこうずね激しくける、唾を吐きかける、こうしたことは、介護士の方にもあるようだが、傷を負うほど激しくはないという。
介護士の方は、そうした暴力(?)は愛情の裏返しだと分析される。だがこうした行為を伴っての『帰りたい・・・』という僕へのコールは誰でもが言うのだと、いうのとは、少し違うと僕はおもう。つまりは自分の生活のすべてが認知症のために、こうした施設でないと全うできないという理解がないから、単純に家庭から切り離され施設に入れられたという、僕への恨みだとおもう。だから誰もが言うという『帰りたい…』とは少し本質が違うのだ。つまりは簡単に、誰でもいう、ということでは片づけられないのでないだろうか。
間違っているだろうか。

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