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パパ帰ろう

2018年5月2日(火)
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満開のつつじ

予想通り四月は二本しかアップ出来なかった。前にも書いたが、なぜか体がけだるく、それに気力がそがれた気分なのだ。いきおいブログも気が乗らず、二本という始末になった。
妻のところには月、木、土と週三回訪ねているが、大体七時間は時間を共にしている。その間は、特に何をすることでもなく、車椅子の妻を館内の廊下を押して歩くか、一人で足を起用に使って前進する妻を少し離れたところで見守り、曲がり角で苦労すると、そっと手を出すのだ。妻の居室は二階だが、エレベーターで三階に上がり、ガラス戸越しに屋上の庭園を眺めたりする。天気が良く、風が弱い日は、屋外に出て、とてつもない大きい桜の木の下で時を過ごすことも多い。今は葉桜になったが、満開のころは花見よろしく桜吹雪を浴びたもんだ。
時を一緒に過ごしても特に何が出来るものではないが、寄り添っていることだけでも意味があると思う。限られた人数の介護士では、一人一人に始終寄り添うことはできない。畢竟孤独の時間が多くなる。そうした場合、僕がおることで介護する側にも助けになるだろう。特に排せつの問題などは一定の時間を見計らってトイレに誘っているが、妻の場合、僕がおれば『パパ・・・トイレ』と訴える。その都度、介護士さんに頼むのだが、快く応じてもらえる。トイレの自立性にも役立つのではないかと思う。
会話が流ちょうに出来ないから語り合うことは今はむずかしい。食事がミキサー食でなくなれば、自宅に外泊させることも夢ではないだろう。最近は『パパ帰りたい・…』とは言わなくなった。『パパ帰ろう・・…』と言うのだ。微妙なニューアンスの違いだが、これは妻にとり大きな心の変化だと思う。『帰りたい』という場合は拘束されている自分の解放を願っての訴えなのだ。しかし『帰ろう』は帰ることが既成の事実で僕との行動を促しているのだ。
この心境の変化をどのように理解すべきか真剣に考えたい。つまり自宅での老々介護を当然の事実として受け止めているのではなかろうか。悩ましくも辛い言葉だ。

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