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心の余裕

2018年5月15日(火)
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荒れた庭にも一輪

妻が特養に転居して以来、なぜか心に余裕が持てない。最近は説教準備に時間に追われるわけでもなく、外部の会合に時間をとられることも少なく、いわば結構ひまなのだ。せいぜい週三回のホームへの妻の面会ぐらいが、僕のルーチンとして時間がとられるぐらいだ。それなのに部屋の片づけはおろか、書斎の本の整理もままならない。説教塾からの資料を読むことも、買い込んでいる専門書をひものどくこともままならない。ましてや庭の手入れ(雑草抜き)には手が回っていない。今年は梅が早々と実をつけた。毎年梅酒のために収穫するのだが時間がない。三月には実る小梅などは、落ちるに任せた。さくらんぼうもそうだ。一日公平に与えられる時間はあるのに、それを効率よく使っていないのだ。部屋に掃除機をかけることもしていない。目に見えない何かに追いかけられているようで、落ち着かないのだ。
ただ、妻への面会は往復とも交通機関の時間に束縛されているから、これらと違ってきちんと行動が出来ている。洗濯や食器の洗いは全て機械任せで苦にはならない。心に余裕があるなしには関係ないのだ。
こうしたことは精神的な病なのだろうか。この間ある方との話で、『発達障害』という事例についてその意味に内蔵する病について気づかされた。僕は発育上の問題で俗にいう知恵遅れをいうのだと思っていた。でも違うようだ。きわめて健常で外見的にみても、行動も、語る言葉も内容も吐露する専門知識もなんら遜色することがなくても『発達障害』はありうるのだそうだ。ことによると、心に余裕が持てないのも、所謂『発達障害』なのだろうか。
最後になったが妻のことに触れよう。この間、『帰りたい』という言葉から『帰ろう』になったことを書いた。昨日も相変わらず『帰ろう・…』だった。それに対して、食事がミキサー食でなくなり、左手の掌が開くようになり、一人で歩けるようになったら帰ろうねという、毎回同じ慰めともつかぬ僕の言葉に、激しく抵抗する。上履きのまま僕のむこうずねを力任せに蹴るか、拳で殴り掛かるか、唾を吹きかけるか、眼鏡をもぎ取るかで結構な力で抵抗する。愛情の裏返しですよと、介護士の皆さんは言うが、僕にはそうは思えない。ここに幽閉(?)されたことの僕への怒りだと思う。違うかな?

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