主よ憐みたまえ。

2017年9月3日(日)
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いつかは起こるかもしれないという予感が実際になってしまた。9月1日の早朝午前四時、ふと目を覚ましたら妻のベッドが空、慌てて探したらリビングルームに朽木のように倒れていた。呼びかけても応答がない。身体もうごかない。119番通報して共済病院医搬送された。全身打撲、身体不動、誤嚥性肺炎の疑いという。早期の回復を祈るのみ。

一人に集中する介護

2017年8月30日(水)
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庭のがくあじさい六月頃

北朝鮮のミサイル発射で日本中に緊張が走る。アメリカの核の傘に守られている日本は、事実上何をすることもできない。まさにあなた任せである。それだけにアメリカの良心と良識に頼らざるを得ない。愚かな戦争への引き金だけは引かない良識と、沈着さの叡知をアメリカに求めたい。妻のショートステーの間に書斎の整理に汗を流した。分類せずに積み上げた専門書の書架への整理は結構大変な仕事で日ごろの心がけを自ら問われる。
先のパソコンのデータ救済の結果が知らされてきた。アプリを除く大半が救済され、USBに落とすという。費用は36、000円なにがし。修理をすればプラス60、000円を超えるようだ。結局修理は依頼せず、救済されたデータのみ頂くことにした。それにしても36、000円とは高額な出費だ。現在のパソコンの費用を加えれば18万円をこえる結果になった。これは痛い。
さて妻のことだが、今日の午後にショートから戻ってくる。昨日、施設の責任者から話を聞いたが、相変わらず食欲はなく表情も暗いという。積極的に自己を主張することはなく、万事無関心といった表情で孤立しているらしい。自宅なら曲がりなりにも『お父さん』と言って会話がある。ただ問題は絶え間ないトイレコールに対応してゆく忍耐を求められることだ。トイレコールは施設でも同じなようだ。ただ施設では応対するケアワーカが複数いるので、一人に集中することはないので特に問題はないということらしい。家庭では介護の限界だということは、事象は違っても介護が一人に集中することなのだろうか。施設のお世話になるということは、正直複雑な心境なのだ。

パソコンの事故

2017年8月27日(日)

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スイスの人形

先先週の木曜日にパソコンのHDが壊れ対応に大童だった。結局復旧できず、メーカにデータの救済を依頼した。どの程度救済できるかはあと一週間はかかるようだ。結局、先週新しくパソコンを買い替えた。window 10がOSであり初期設定は専門家に依頼した。詳細な設定に結構苦労させられた。LANやインターネットはつながったが問題はアプリとデータの回復はこれからで、誠に面倒である。何事も日ごろの備えが大事でバックアップを丹念にやっておくべきだったと反省している。
妻は先週の月曜か今週の水曜日まで長いショートステーのお世話になっている。昨日の施設での安息日礼拝に一緒に守った。今日は迎えに行って主日礼拝を守ることができた。八月中は教会での食事が提供されないので、礼拝後、近所のレストランで昼食を摂ったが、ほとんど口にできなかった。嚥下がうまくゆかないようなのだ。これは家での食事でも同じだ。栄養剤のエンシュアーは好んで飲むのでカロリーは補えているだろうが対策に頭を痛めている。

人智のむなしさ

2017年8月9日(水)
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ピアノの上の土笛

台風五号が九州南部から西日本を襲いさらに本州を縦断し多くの被害を残していった。このところ気象異変で各地に豪雨を伴う災害が多い。横須賀には被害がないので被災地の皆さんの苦労は本当には味わっていない。どうすれば痛みを分かち合うことが出来るかと考えると人智のむなしさを感じる。
妻は今週の初めから金曜日までの予定でショートステーのお世話になっている。一週空けて21日~30日までのショートステーが予定されている。今回は迎えの車にどうしても乗らず、一度迎えの方に引き取って頂いた。一時間ほど時間をおいて僕がタクシーで送っていった。勿論、事態を理解してのことではない。よくわからないままに僕と同行して施設に行くわけである。施設のチャプレンが僕と相談があるといって、妻のおる場所から別のところに僕だけを誘導して、そのまま僕は帰ることになる。
多分妻は程なく僕が戻って来ると思っているだろう。しかし、そのことは、まもなく忘れて施設の環境に埋もれて行くようなのだ。こうしたことは毎回である。つまりは本質的に妻は施設に行くことは好まないのだ。ただ認知症の病のために次の瞬間には過去のことを忘れてしまうのだ。こうしたいわば妻の疾患を利用してショートステーなりデーサービスなりにお世話になっているといえる。これは妻の知的能力の欠陥を利用しての心が痛む手段といえる。さらに考えさせられるのは、ショートステーにしろデーサービスにしろ医学的治療が行われることではなく、特にショートステーでは漫然と集団の中で過ごすだけに過ぎない。家庭の環境から全く強制的に切り離され、ある意味孤独な環境におかれるといえよう。そう考えればこれらの行為は妻のためというよりも、介護者である僕のためということになりはしないか。介護者の僕の安らぎも大事だと専門家はいうが、でもそうであれば僕が我慢すれば、妻を施設に追いやる(?)必要はないのではないか。八月のショートステーの日程は既に決まっている。来月からどうするか改めてケアーマネージャとも相談してみたい。

時間を有効に

2017年8月4日
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何をすることもなく2017年も八月に入ってしまった。余命幾ばくもないというのに時間の浪費が甚だしい。過ぎし八十八年はこれといったものを何も残してこなかった。そこで残された時間をせめて有効に意義のあることに使おうと思うのだが、そう思っている間に時間は待ってくれず情け容赦なく過ぎて行く。
時間を有効に使うということはどういうことなのか。有効とは何を意味するのだろうか。隠退教師としてたとえ説教壇に立つことがなくとも学びを内に秘めて日々を過ごすことだろうか。あるいは要介護四の介護認定を受けている認知症を患っている妻の在宅介護に全力を尽くすことなのだろうか。どちらも軽重は問えない。学びと介護の両立を目指して時間を使って行くことが僕にとっての有効というものであろう。
妻は今日、デーサービスで日中は施設のお世話になっている。この時間が僕にとって介護から開放される時間なのだ。それだけ施設にはお世話を掛けているのだから、時間を無駄にせず学びに時間を使いたいと願っている。
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