梅の実

2018年5月30日(水)
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今年は気候の影響か庭の梅の木の実が例年より早く、多くの実を実らせた。通常は小梅の方が早く実るので、大半が収穫されないまま庭に散乱している。大きな方も多くの実が庭に落ちてくるので、先週の土曜日に娘と梯子を用いて採れるものを収穫した。高いところにある実は諦めた。それでも七キロはあったので、一キロを梅酒に漬けた。今年はホワイトリカーでなく、ブランディーで漬けてみた。レシピーによれば三・四年で美味しくなるという。果たしてそれを味あうことが出来るだろうか。
さて妻のことに触れよう。ホームで皮膚科の医師が妻のこめかみ付近の皮膚に異常を発見した。日光顔面硬化症という一種の皮膚がんだそうだ。精密に検査するために、23日に病院で局部麻酔をかけて患部を薄く切り取られた。検査結果は6月7日に知らされるという。皮膚がんは転移が早く、特に肺に転移することが多いという。癌となれば抗がん剤を用いるが、正常であれば液体窒素で患部を焼くという。
なんとも厳しい現実に心が滅入るが、全ては主の聖手の働きのうちにあるのだ。この現実を受け入れ聖心なれば治癒を祈りたい。

心の余裕

2018年5月15日(火)
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荒れた庭にも一輪

妻が特養に転居して以来、なぜか心に余裕が持てない。最近は説教準備に時間に追われるわけでもなく、外部の会合に時間をとられることも少なく、いわば結構ひまなのだ。せいぜい週三回のホームへの妻の面会ぐらいが、僕のルーチンとして時間がとられるぐらいだ。それなのに部屋の片づけはおろか、書斎の本の整理もままならない。説教塾からの資料を読むことも、買い込んでいる専門書をひものどくこともままならない。ましてや庭の手入れ(雑草抜き)には手が回っていない。今年は梅が早々と実をつけた。毎年梅酒のために収穫するのだが時間がない。三月には実る小梅などは、落ちるに任せた。さくらんぼうもそうだ。一日公平に与えられる時間はあるのに、それを効率よく使っていないのだ。部屋に掃除機をかけることもしていない。目に見えない何かに追いかけられているようで、落ち着かないのだ。
ただ、妻への面会は往復とも交通機関の時間に束縛されているから、これらと違ってきちんと行動が出来ている。洗濯や食器の洗いは全て機械任せで苦にはならない。心に余裕があるなしには関係ないのだ。
こうしたことは精神的な病なのだろうか。この間ある方との話で、『発達障害』という事例についてその意味に内蔵する病について気づかされた。僕は発育上の問題で俗にいう知恵遅れをいうのだと思っていた。でも違うようだ。きわめて健常で外見的にみても、行動も、語る言葉も内容も吐露する専門知識もなんら遜色することがなくても『発達障害』はありうるのだそうだ。ことによると、心に余裕が持てないのも、所謂『発達障害』なのだろうか。
最後になったが妻のことに触れよう。この間、『帰りたい』という言葉から『帰ろう』になったことを書いた。昨日も相変わらず『帰ろう・…』だった。それに対して、食事がミキサー食でなくなり、左手の掌が開くようになり、一人で歩けるようになったら帰ろうねという、毎回同じ慰めともつかぬ僕の言葉に、激しく抵抗する。上履きのまま僕のむこうずねを力任せに蹴るか、拳で殴り掛かるか、唾を吹きかけるか、眼鏡をもぎ取るかで結構な力で抵抗する。愛情の裏返しですよと、介護士の皆さんは言うが、僕にはそうは思えない。ここに幽閉(?)されたことの僕への怒りだと思う。違うかな?

パパ帰ろう

2018年5月2日(火)
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満開のつつじ

予想通り四月は二本しかアップ出来なかった。前にも書いたが、なぜか体がけだるく、それに気力がそがれた気分なのだ。いきおいブログも気が乗らず、二本という始末になった。
妻のところには月、木、土と週三回訪ねているが、大体七時間は時間を共にしている。その間は、特に何をすることでもなく、車椅子の妻を館内の廊下を押して歩くか、一人で足を起用に使って前進する妻を少し離れたところで見守り、曲がり角で苦労すると、そっと手を出すのだ。妻の居室は二階だが、エレベーターで三階に上がり、ガラス戸越しに屋上の庭園を眺めたりする。天気が良く、風が弱い日は、屋外に出て、とてつもない大きい桜の木の下で時を過ごすことも多い。今は葉桜になったが、満開のころは花見よろしく桜吹雪を浴びたもんだ。
時を一緒に過ごしても特に何が出来るものではないが、寄り添っていることだけでも意味があると思う。限られた人数の介護士では、一人一人に始終寄り添うことはできない。畢竟孤独の時間が多くなる。そうした場合、僕がおることで介護する側にも助けになるだろう。特に排せつの問題などは一定の時間を見計らってトイレに誘っているが、妻の場合、僕がおれば『パパ・・・トイレ』と訴える。その都度、介護士さんに頼むのだが、快く応じてもらえる。トイレの自立性にも役立つのではないかと思う。
会話が流ちょうに出来ないから語り合うことは今はむずかしい。食事がミキサー食でなくなれば、自宅に外泊させることも夢ではないだろう。最近は『パパ帰りたい・…』とは言わなくなった。『パパ帰ろう・・…』と言うのだ。微妙なニューアンスの違いだが、これは妻にとり大きな心の変化だと思う。『帰りたい』という場合は拘束されている自分の解放を願っての訴えなのだ。しかし『帰ろう』は帰ることが既成の事実で僕との行動を促しているのだ。
この心境の変化をどのように理解すべきか真剣に考えたい。つまり自宅での老々介護を当然の事実として受け止めているのではなかろうか。悩ましくも辛い言葉だ。

帰宅願望

2018年4月25日(水)
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野鳥の会より

ここのところブログを随分ご無沙汰していた。気が付けば4月も下旬、この分だと四月は二回ぐらいのアップに留まるかもしれない。
なぜか最近は随分疲れる。わけもなく体がだるいのだ。朝起きるとき、果たして今日は起きられるだろうかと思うのだが、決まりの朝のコーヒーを入れなくてはならないから、重い腰をベッドから引き上げてキッチンに行く。豆を挽くころになると、だんだん体が慣れてきて、一日がどうやら起きて過ごせそうになる。
昨日、整形外科で月一度の脊椎のブロック注射に行き前回の血液検査の結果を聞く。腎機能の数値が少し高いという。内科医に相談してはとの助言を受ける。もともとクレアチンの数値が少し高いのだが、今回は少し高すぎる。だるさはその為なのか、だとしたらちょっと深刻だ。明後日に内科医に相談に行こう。というのも、明日はホームに妻を訪ねる日だからだ。
妻の様子は特に変化はないが、食事を少し残すようになった。今のところミキサー食をスプーンで一人で口に運ぶのだが、完食はしない。不順な気候のせいかもしれない。明日またよく観察しよう。
相変わらず帰宅願望が強く、それに満足のゆく応答が僕が出来ないから、僕の手に強く爪を立てたり、上靴で激しく蹴ったり、それでも満足できないと唾を吐きかける。不満への精いっぱいの抵抗なのだろう。せめて足が立ち食事が普通食になれば、家で外泊させたい。本当にその日が来ればどんなにか僕自身も嬉しいことだ。でも夢だろうか、切ない望みだろうか。誠に辛いことだ。自宅介護が無理なことは百も承知だが、それでも実現してやりたい。主のお導きに従おう。

祈り

2018年4月9日(月)
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三年まえのさくらんぼう
今年もさくらんぼうが実りそうだ。小梅が今年は豊作で、結構多くの実が鈴なりになっている。大きな梅はこれから花が咲くので、実るのは六月後半頃と思う。去年は不作だったから、今年は期待できそうだ。柚もそうで、昨年はあまり実らなかったが、それでも十キロ程度は収穫でき、柚ジャムに加工した。今年はたぶん豊作だろうから、柚ジャムをたくさん作りたいと思う。
こう書くと、実り豊かな木々におおわれた広い庭に思われるだろうが、実際はそうではない。もともと猫の額のように狭い庭にウッドデッキが張り出しているので、本当に狭い庭だが、そこに木々が犇めいているといった感じだ。
さて、このような書き出すつもりでなかったが、写真にひかれて筆が滑ってしまった。
タイトルを『祈り』と題した。何の祈りか、それは毎食前に献る祈りなのだ。朝夕とはまた別だ。なぜその祈りに触れたのか。それは食前の祈りに妻のことを常に祈っているからだ。妻のことについて悩むことが多い。それだけに主に訴えることが多いのだ。畢竟、祈りはながくなる。
しかし最近になって目が覚めた。情けないことだが最近なのだ。それは主は全てをみそなわすお方だ、それならばこちらがくどくど祈る必要はないではないか、そう気づいたのだ。
ならばひとことでよい『主よ全てをお任せいたします、聖心がなりますように』。思い煩うことはないのだと、説教者でありながら誠にお恥ずかしいが事実を吐露しよう。
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